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気まぐれエッセイ
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「違い」について 本当に長い間、エッセイに手をつけなかった。
毎度の言い訳になってしまうが、前回のエッセイから今まで死ぬほど忙しい毎日で、あっという間に恐ろしいほどの 時間が経ってしまった。小さいながらも大事なステージがちょこちょことあり、何よりも10月に生徒達の発表会が
あったので8月からその準備に追われまくり、自分が何年何月何日に生きているかもわからない感じだった。
それでも発表会は大成功に終わり、発表会の次の日に熊本に行って2日間のステージを務め、
10月最終週になってやっと地獄のような疲労感から抜け出せた。
熊本では、自分の踊りはかなり失敗があったけど、それ以外は本当に思い出深い素晴らしい舞台と旅になった。 特に二日目は熊本市の現代美術館でのステージを準備してくださり、予想以上のものすごい数のお客さんが 見に来てくださって、その熱い眼差しと熱気で会場が盛り上がり、私たちも大感動!
熊本の真喜子さん、スタッフのみなさん、本当に本当にどうもありがとうございました!感謝、感謝、感謝です!
ところで、前回のエッセイを書いた後、勢いづいて直ぐに「自分らしさを出して踊る」についてのエッセイを書いた。 というのは、この言葉を最近雑誌で目にする機会が多かったのでそれについてぜひ一言意見を述べたいと思ったからだ。
「自分らしさ」を失わないで踊ることは非情に大切だけど、日本の土地で日本人が日本の心でスペイン語もフラメンコの 背景も土台も知らずに”自分らしく踊る”と、踊りの振り付けはスペイン的でも、やっぱりどーーーしても本場スペインの
フラメンコとはかなり違ったものになっちゃう。
でもそれはスペイン人じゃないのだから当然だし、自分らしく踊るのはまさに日本フラメンコの生き生きとした脈と 同一化することになる。
スペインのフラメンコをまだ知らない勉強中の人が、今習っている踊りに心を込めて踊ることは素晴らしい事なので、 たとえ私が「違ったものになっちゃう」と言っても気になさらないでほしい。決して否定しているのではないので。
ただ日本にいながら真のスペインフラメンコを勉強したい人、そしてその中で自分らしさを表現したい人は、いつもいつも スペインのフラメンコに目を向け続け、「違い」について常に意識と理解をしながら勉強していったら、フラメンコ性が
徐々に見えてくるし、真のフラメンコに正面から向きあっていく勉強過程を通して、自分らしさが自然に出てくるのではと、
まあ簡単に言うと、こんな内容である。
なのでエッセイの中で「日本とスペインの根本的な違い」を、踊りに関してではなく、土台部分から掘り下げて、 わかりやすいように具体例を山ほどあげてみた。
そしてやっとこさ「だから日本とスペインのフラメンコの違いが出て当然」と結末文に必死にたどり着いたその瞬間!
自分への言葉がポツリと返ってきた。。。 「だから何なのさ」と。
日本人に愛され、日本ならではのフラメンコが生まれ、それを本場のフラメンコと思い、暖め育んいる日本のフラメンコに 対して、「だから違うのだ〜」と私が言い続けたところで、何も変えられないし、偉そうに言う自分だって大した事ないし、
「違う、って言ったからって、だから何なのだよ〜。みんな好きでフラメンコやっているのだからい〜〜じゃん!」という
答えしか自分に返ってこなくなった。 なので、やっぱこのエッセイや〜めた!となった。
スペインのフラメンコってどんなものなのか、という一番大切なことに本気で向かう人は、最初から勉強の仕方が違うし、 歩み方も目指す方向も違うので、最終的に「わかる者同士がわかり合っていればいい」というのが、たどりつく答えだろうか。
でもこれだけはわかってください。スペインのフラメンコと日本のフラメンコが全く違うことを私は批判しているのではなく、 日本で育つフラメンコをスペインのフラメンコと思わないでくださいね!本場の味と、本場を離れて外国で育った味は
違うんですよ!ということを言いたいのです。
ただ単に、フラメンコ勉強中の方々、このことを知って勉強してくださ〜い!と毎回飽きることなく言い続けています。 と、ここで今回のエッセイを終わってしまうと中途半端でイヤ〜な感じが残るので、最近生徒達と話していて 驚いたことを書きたいと思う。
私が「モデルノの踊りより、やはり本来の古典というか本筋のバイレフラメンコが好きだなぁ」って話していたら 生徒のほぼ全員が「モデルノと古典の違いがわかりませ〜〜ん」と言う。ゲゲ〜〜〜!!!
すんご〜〜〜〜くショック!!!違いがわからない?!?!
モデルノと古典の違いがわからないということは、わかるように説明すると(いつも食べ物の例になっちゃうけど) ”和風懐石フランス料理”と”純粋な懐石料理”の味の違いがぜんぜんわかりませ〜ん!ということ。
このついでで説明すると、純粋な懐石料理が古典フラメンコ(古典といっても古いというだけの意味ではないデス)。 和風懐石フランス料理がモデルノのフラメンコの感じとなる。 そしてこれは、漆のお椀に盛られているからとか、西洋のお皿に盛られたからとか見た目の問題ではない。 懐石料理を数多く食し、そして懐石料理の意味や作法、歴史の知識を得るといっそう奥深さが増し、ひとつひとつの 食材や器にも意味の重さを感じられる。この懐石料理の味を熟知した上で、和風懐石フランス料理を口にすると
歴然と違いがわかると思う。
両者の好き嫌いの問題ではなくて、違いを理解して両者を味わうことがとても大切だと思う。
本当に美味しいお料理は素材の良さが絶対で、それにいい味付けが加わると本当に素晴らしいお料理となり、 全ての味わいの中で素材の味が断然引き立ってくる。古典のバイレフラメンコが(私の感覚では)正にそれだと思う。
変な例だけど、畑から抜かれた新鮮な大根がお料理されて、出来上がりもそのまま大根で、味も香りもそのまま
畑の新鮮大根が強烈に出ている、といった感じがピタリとくる。
もちろんモデルノもすごいし、とにかくカッコいい。モデルノは高度な技術と音楽性の両者がメインに立つ。
様々な味が統合した絶妙なソースがいたる所に使われている、といったところかな。
1曲の頭から始まって、カンテのセンティードと違っていても高難度な技と音を入れ込み、最後の最後まで
ありとあらゆる技が練りこまれる。なので見ていて第一に「身体がよくまぁ動くなぁ」と感心する。
だから最近のモデルノの踊りを見てから昔の踊り手達を見ると、正に大根そのもの、という感じがして 思わずニヤっとしてしまう。
ややこしいことは一切しないで、素朴で、味付けしてくれるギターやカンテにひたすら耳を傾け、そして場を預け、
自分の場になると、私が真のダイコ〜〜ンだ!って感じで主張するので、あまりの味わいの良さに
思わずうなってしまい、あああ〜〜〜やっぱりいいなぁぁぁぁ〜〜、好きだなぁぁぁぁ〜〜となってしまう。
この「違い」はやはり徹底的に両者を見ないとわからない。 今の若手は全員がモデルノを踊るので(全員全く同じ踊りに見えるのもモデルノの特徴だ)、昔のビデオやDVDを
徹底的に探して見るのがいいと思う。
絶頂期のエル・ファルーコ、マリオ・マジャ、ミラグロ・メンヒバル、マティルデ・コラル、マヌエラ・カラスコ、
エル・グィート、アンヘリータ・バルガス、コンチャ・バルガス、ファナ・アマジャ、カルメリージャ、etc、他にもたくさん
素晴らしい踊り手がいた。
最近はすっかりと芸能人になって見る陰もないが、革命児として変身した時の絶頂期のアントニオ・カナーレスも
本当に本当にほんと〜〜にすごかった。
そしてもちろん今も絶頂期のジェルバ・ブエナも高度な技の連続で踊るけど、彼女はどんな時も全面的に古典フラメンコを
尊重して、その大切さを熟知して絶対的に守り続けているので、心から尊敬してしまう踊り手の一人だ。
日本人がスペインで日本料理屋さんに行き、スペイン人の板前さんが作った日本料理を食べて、 本当の日本料理と全然違うと感じて当然。
スペイン人が日本のスペイン料理屋に行って、これはスペイン料理の味じゃない、っていうのも当然。
日本のフラメンコと交わって、スペインのフラメンコと全然違う、とスペインのアーティストに言われているのも当然。
「違い」は両者を知らないとわからない。
2007年11月5日 |