Home プロフィール 公演情報 公演履歴 レッスン情報 近況 気まぐれエッセイ リンク集
気まぐれエッセイ
|
今回のテーマは”振り付け”について エッセイを毎日毎日、書きたい、書かねば、書くぞ、と呪文のように唱えながら、
それでいてなかなか手をつけることが出来ず、結局は恐ろしき日数が、またまた空いてしまった。 何でこんなに自分に時間がないんだろう、って思いながらいつも時間に追われている生活が続く。 それでも朝の10時から夜の11時まで休みなしで自分の練習、クラス、舞台準備の指導などを さて今回は、「踊りの振り付け」について書いてみることにする。
まず、自分用の踊りの振り付けに関して言うと、ゼロの状態から作るのでものすご〜く時間がかかる。 本当に全く何も無いところから始めるので、例えばソレアなら、ソレアを全体にどんなイメージにしたいか、 どうやってソレアの重さと深さをキチンと出せるか、など頭の中での大きな流れの構想から始まる。 毎日いつも頭の中のどこかでず〜っとイメージして考えているので、実際の動きを始めるまでも かなりの日数がかかる。何年も前からだいたいのイメージは何となく温めていた、なんていうものもある。 それでやぁ〜〜っと実際に振りやパソを考えながら作っていくのだが、これまたゼロから一つ一つ 始めるので、ものすごぉぉぉ〜〜〜〜く時間がかかる。
私はスペイン人の誰かに習った振り付けやパソを自分の踊りに入れない。 入れるとしても、例えば自分で3曲作ったとして、1個くらいのパソを3曲の中のどこか1箇所入れるくらい。 ただし(ちょっと古い例になるけど)、例えば女性の踊りの代表であるミラグロ・メンヒバルのような 動きは時代とは関係なく、女性そのものなので、(スペインで私は長年彼女に習っていた)、 ”絶対に女でなければいけない”場合の踊りの曲を振付ける場合は、彼女のイメージを頭に描きながら、 自分に合った振りを探したりする。 もちろん修行時代は、習ったものを一生懸命練習して、好きなアーティストのコピーを必死に
やっていたけど、スペインのフラメンコとは?を少しずつ把握出来るようになってから、自分の納得できる 踊りを作りたくなって、13年前くらいからは全部自分の感じるままに作り、失敗とやり直しを繰り返し、 納得できるまで時間をかけて練り上げていくようにしている。 ひとつのパソを作るのに、何十分かで出来る場合や、アイディアが出ない時はたった一つの パソに1週間近くかかることもある。もちろん昔から伝わる伝統的なマルカール、パターン化した コルテ、ジャマダなどは必需品なのでそのまま使うけれど。 そして、スペイン人達の各時代で流行る踊りのスタイルを見て、大きな特徴とイメージが 頭に残った場合は、それを大きなヒントにする事がある。 自分の振りつけたものがこれで正解かというのは、本番で、特にお客さんのいる前で 踊ってみないと不思議とわからない。あれは何でだろう。不思議だと思う。 人前で踊る時にしか出ない特別の緊張感が影響してか、本番でしかわからない、 そして本番にしか出ない答えがいくつもあって、それによって予定していたカンテやギターとの 呼吸や間、コンパスの乗りなどが変わってくる。 なので、本番を終えてから「あ〜あ、また作り直しだ〜!」ということを何度も繰り返して 自分が心から納得いく踊りを作り上げていく。(って言っても、これが何年経っても出来ない!) 逆に、自分が踊らないで誰かに振り付ける時は、もっとスムーズに出来る。 自分が踊らないので、振り付けを第三者の目で冷静に判断できるのでわかりやすいのだ。 ただし動きの流れに不自然さが出る場合、自分も一緒にやってみないとそれがわからないので 当然私も動きながら作っていく。そして勿論、誰かの振りやパソは絶対に入れない。 自分がクラス指導を始めた時からだけど、スペイン人に習った振りを、生徒に振り写しして(生徒用に 簡単にアレンジして振り写しするのでさえも)、それで生徒からお金をもらうのは、 自分が許せない気がして激しく抵抗があったので、フラメンコを教えるようになって15年になるが 一度としてやったことがない。 もちろんこの感覚は教える側の自由なので、振り写しをしている人の批判をするつもりは全く無い。 私の場合は、自分が許されないので単にやらないだけだ。 そして、余談になっちゃうけど私が一番イヤなもの。 それは「いかにも!」という”表面的だけフラメンコ臭く見せる大袈裟かつ派手な振り付け”は、 私の一番嫌悪するものだ。おぞましい!と思ってしまう。 こんな振りを付けたり、踊ったりしている人を見ると「フラメンコっちゅう神聖なものに対して 何を考えとるんじゃ!一から真剣に考えて勉強してこい!」と、どの地方の何弁かわからないが、 こんな風に叫びたくなる。 ところで、創作の振り付けは実に面白い。特に群舞の、創作の作品の振り付け構成をするのは 大大大好きだ。 フラメンコ性を維持しながら、フラメンコとは違った曲や動きで、テーマを作っていくのは 楽しくて仕方ない。それに付き合わされる団員の子達はかわいそうだけど(苦笑!) 自分のイメージがどんどんと膨らんで、イメージや動きが次々と湧き出してきちゃう。 マジックのような流れを作りたい!視覚的な小さな驚きの連続にしたい! 一筆書きのような自然な流れを出したい!など激しく理想だけは高く、毎回団員達に
肉体的重労働をさせてしまいながら挑戦しているのだか、私の頭の中だけは
雲の上レベルの、最高の理想ばかり夢見て、現実の自分の実力と空回りになり、 結果、理想の50分の1も出来ない。トホホ、あたしゃやっぱり凡人だ。。。
世界中に素晴らしい振付家がたくさんいて、彼らの作品は目が腐るほど見ていても飽きず、 そういう素晴らしい振り付け、作品、構成が出来る彼らの才能に心から感嘆し、尊敬し、 自分の凡人なるオツムにため息が出る。バレエやモダンなど、フラメンコとは全く性質の違うもので、 昔から愛され、受け継がれてきた世界一級の作品の中には、秀逸した振り付けの美しさと流れ、 そして空間に対する特別の感性が各箇所にちりばめられている。 (日本の歌舞伎も実にすごい。そして素晴らしい。そして美しく奥深く面白い!) 実は私が20歳くらいの頃からフラメンコと平行して、こういった舞台芸術の世界の虜になっている。 フラメンコに関して言うと、グラン・アントニオがフラメンコを舞台芸術として確立したと言われているが、
彼以来、今の時代に至るまで多くのフラメンコ舞踊家が舞台芸術として成り立つフラメンコを目指し、
舞台と作品に挑戦するようになってから、急激に世界中にフラメンコ舞踊が受け入れられ、広まったようになったと思う。
こんなすごい話をした後、自分の話に戻ると、どどどど〜〜んとどん底にレベルは下がるが、 2008年5月21日 |