2007年5月1日〜5月31日

5月31日(水曜日)握力の衰え?
ワープロを使うようになると、本当に文字を忘れる。 変換してくれるので、見ればこれっ!と分るからそれで済んでいるけれど、いざ、ペンを取って文字を書こうとすると、さっぱり出てこない。 なんとなく絵のようにボンヤリとは浮かぶけれど。 かといって、手書きは時間がかかってしまう。ワープロは本当に早い。 ただ最近、手の筋肉も衰えるのか!と実感する。 ペンを握る回数が減ったせいか、たまに手書きすると怠けた筋肉が言うことをきいてくれず、ふらふらした線になってしまう。 お年寄りの方から手紙を頂く事もあるけれど、急に筆力がなくなったなぁと思う時がある。 色んな機能がジワジワ衰えるんだぁ〜〜歳を取るってこういう事なのか〜〜と、遠い昔の祖母の姿などが思い出され、時間が過ぎないと分らない事の多さに驚く。 他人の身になってというが、高齢者の身になってというのもある。
5月30日(火曜日)改札口で
久しぶりに飯田橋駅に行った。 改札口を出ると、日に焼けた顔でニコニコ近づいてきた、友人の顔がふっと思い出された。 彼は、飯田橋に職場があり、たまに鰻をご馳走してくれた。 仕事はバブルを境に、厳しい状況に陥っていたけれど、いつも前向きで、愚痴も言わず、年末には一年間の積もる話をしながら、少し飲んでお喋りしあった。 スポーツ万能で、休日にはテニス三昧の日々を送っていた。 中学時代からの先輩だから、気がおけず、ラフな気持ちで付き合えた。 子供の頃を知っているのは、なんとも言えずいい。 日向ぼっこをしているような気分。 東京在住のたった一人の異性でもあった。 彼は昨年の春に不慮の事故で亡くなった。
5月28日(日曜日)ピアス
アクセサリーは普段つけない。 一番の理由は面倒だから。 それに落とすから。 耳に穴をあけるのは嫌なのでピアス派ではなく、それゆえにイヤリングを何個落としたか。 たまにつけようと思えば、好きなものを選ぶから、気に入ったものからなくなる。 いつの間にか耳たぶと泣き別れていて、知らぬは私だけ、帰宅して気づく事が多い。 それでも耳に穴をあけたくない。 近頃は、耳どころか、鼻、唇、舌などありとあらゆる場所に穴をあけて、ジャラジャラつけている若い子がいる。 咀嚼に不便じゃないのかしら? 体を痛めつけると、精神でも安定するのかなぁ???オバサン族の私には良く分らない流行です。
5月27日(土曜日)たかが外見
昼間、背広姿で初めてお会いした方が、ライブなどに来てくださる事がある。 その方は40歳位の、濃紺の背広姿、結構甘い二枚目で、都会のジェントルマン風の方でした。 ある日、私が受付近くにいると、野球帽にポロシャツ、ジーパン姿の30代位の男性がフラッと現れました。 私はまさか最近お会いした、前述の人と思いもしませんでした。 全然別人に見えたからです。 人は外見にいかに騙されるか!私は自分自身、外見と中身が違うとみんなに誤解されるから、初対面の方には特に注意を払って外見から判断しないようにしているつもり。 良〜く分っているつもりの私でも、やはり騙される。 ただしそれ以前に一度、しかも15秒くらいチラッとお顔を会わせたくらいの方だと付け加えさせてもらうが。 たかが外見、されど外見。
5月26日(金曜日)衣装替えは苦手
アクセサリーは、舞台に立つとき、仕方なくやる。 あまり好きではない。 元来がお洒落じゃないから、色々コーディネートするのが面倒ということもある。 リサイタルの時は、衣装が楽しみでしょ!などと言われるが、まったくそんな事はなく、できれば囚人服みたいなので唄いたいくらい。 いつだったか、お客様から、開口一番「どんなご衣裳で唄われるんですか?」 と目を輝かして質問された事がある。 そんなもんなんだぁ〜とビジュアルにも気を使うようになった。

若い時は、同じ真っ黒い衣装で5,6年唄っていた事がある。 不器用なので衣装替えに神経を使うと、唄のほうがおろそかになりそうで、気がまわらなかった。 本当は、唄に興味を持っていただけるのが一番嬉しいんだけれど。 歌手や俳優は生身まるごとが商品だから、仕方ないですね。  そうはいっても、派手なのは好みじゃないです。 自分の衣装は勿論、他人の衣装でも。

5月25日(木曜日)メール文にご注意
メールのやり取りは、本当に注意が必要だと思う。 直接、話す場合は、相手の表情や、ちょっとした声のトーンで同じ言葉でもニュアンスが感じられ、誤解も少ない。 メールでそのニュアンスまで伝えるには、かなり慎重に言葉を選ばないといけない。 時間を省くためにメールをするのだから、ついつい事務的にまた簡略になる。 イエス、ノウですむような話ならいいけれど、感想や言い訳など込み入ったやり取りは止めた方が無難だ。 余程、言葉使いに注意しないと、エスカレートして思わぬ方向に行ってしまう。
5月24日(水曜日)耳鼻科通い
もう一つ、最近咽頭炎を患い、半年ほど耳鼻科のお世話になってます。 脱脂綿を巻いた細い針金状のものを、先生は「ちょっと失礼」などと言いながら、鼻の穴にズズッと突っ込みます。入れる時は、まだしもそれを抜く時、なんて鼻の穴は深いんだろうと思う。 なんという名前の棒か知らないけど、穴の中から20cmはひきずって取り出す感じ。 実際はどうなのか分らないですが。 涙がぼろぼろでます。 体の中は微妙、患ってみると、存在価値を知ります。 なんでも同じ、なくなって初めて有り難味を知るってやつですね。 体は丁寧に使わないと、ね!
5月23日(火曜日)歯医者さんはジャズピアニスト
ここ数年、歯医者と縁がきれない。 今後もず〜〜と仲良くしそう。 歯が丈夫な人は歯周病や歯槽膿漏になりやすいらしい。 弱い人は、虫歯になるそうですが、私は、虫歯と歯周病双方に悩まされてます。 虫歯は、治療で早期に発見、根治してますが、歯周病はやっかい。 なかなかすっきりしない。 歌手という職業柄、歯には神経を使わなきゃいけないのですが、結構ずぼらです。 歯肉がやや腫れてジ〜と痛いです。 こうやって、一本、二本抜けてオババになるのねぇ。。。 ところで、私の通う歯医者さんは、二束のワラジというのでしょうか、プロのジャズピアニストです。
5月22日(月曜日)レオ・フェレで検索したら
あまり、検索サイトを使用する事はない。 乗車案内や地図は大いに役立っているが。 ところで、レオ・フェレでどの位の反応があるものかと、何百万人も会員のいるサイトを検索したら、たった3人しかいなかった。 やはり日本では無名なんだなぁと改めて痛感。 フランスでどんなに著名であろうとも、日本では関係ない。 レオ・フェレの息子が、日本に来てレコード会社などをまわって落胆していた。 圭子は日本で父の唄を唄っていけるのか?と危惧していた。 そうだろうなぁ・・・日本の事情を知って、私の厳しい状況も多分把握しただろう。 ポピュラーをレパートリーにしなければ仕事はないのだから。
5月21日(日曜日)現実的な夢
子供の頃は良く、夢をみた。 誰でもそうかもしれない。 総天然色(古い!)の夢もみた。 特にショッピングに行った夜など、どぎつい色であふれかえっている砂漠や、海の夢をみた。 現実にはありえないような摩訶不思議なストーリーの夢だったり。 でも、最近、夢を見るのは稀になった。 ごくたまに見ても、現在、考えている事を夢の中でしていたり、昨日会った人が出てきて、日常的な会話をしている。 現実的すぎて夢とは思えない。 昔のように奇想天外な夢がみたいなぁ。 好きなように夢を見られる人がいると聞いたような気がする。 その方法教えてほしい。 私は、目の前の現実を見ないで生きているような所があるので、夜にそのしっぺ返しが来るのかも。 24時間フルに夢で終わって、一生も夢・幻の如くなり・・・・だから夜も夢らしい夢がみたい。
5月20日(土曜日)ご飯好き
お米が大好きなので、朝はご飯を食べます。 どんぶりご飯を食べてしまいます。 最近は十五穀米や黒米も好きで食べます。 お米を食べたくなり、眠いのにはやばや起きて、それっとばかり、朝から炊飯器のスイッチを入れる事もあるほど。 十代の頃は田舎に住み、まだ親も健在だったので、親任せで白いご飯をパクパクやって大きくなり、20代は自分で炊くのが面倒で、パンやおにぎり、外食が増え、これではいけないと30代からは自分でご飯だけは炊く癖をつけ・・・今は、たまにおかずも制作いたします。 自分の味付けはやっぱり美味しい。 そりゃ当たり前(笑)
5月19日(金曜日)嬉しいメール
サロンコンサートでCDを買ってくださった方から、メールを頂いた。 外出していても、早くCDを聴きたいと思い家に急いで帰る・・・この唄に出会って良かった!とあった。 唄の上手い、下手ではない、何かがきっと、この方の心に触れるんでしょうね。 万人に良しとされるものでない、個人的な何か・・・その人の生き方に関わるようなこと。 それを知ろうとは思わないけれど、一人でもそう思ってくださる方がいる私は幸せ者です。
 時々、どうしてらっしゃるかしら?と想像したり・・それくらいこういうメールをもらうと嬉しいです。 逆に励まされます。 「唄ってきて良かった!」と思ったりするんですよ。 やはり唄は心と心で通じあうものだと改めて思います。
5月18日(木曜日)豆類好き
食べ始めると止められない物の筆頭にあがるのが、お豆。 お饅頭やケーキは、ある程度食べると、満腹してしまう。 また、美味しく味わって食べよう〜っと、なんて殊勝な気持ちになる。 しかし、お豆だけは止められない。 止めようと思っても、ついつい袋に手がでます。 硬くて、租借できる食べ物にどうやらはまってしまうらしい。 一度決意し、奥深くしまっても、やっぱりゴソゴソ取り出す。 そんな時、意思の弱さに自虐的な笑みを浮かべて我が顔をじっと見つめております。 胃袋が丈夫なら良いんだけど、翌日必ず胃の調子が悪くなる。 それでも食べる私は・・・アホ
5月17日(水曜日)ガス点検
ある日、東京ガスから安全点検の通知をもらった。  キッチンなどという名称には程遠い、我が家の台所である。 3年に1度くらいの間隔で点検してくれるらしい。 面倒ではあるが、(なんと言ってもお掃除が苦手、ちょっと他人様には見せたくない炊事場なのです)安全のためには仕方ない、義務と思っています。 隣近所にご迷惑をお掛けするかも知れませんし。 係りの社員さんはお二人とも若いのに、とっても親切・丁寧な物腰でものの数分で点検していただきました。 最近、東京ガスの社員を装って詐欺を働く手合いが多いからか、誠実でした。 私はこういうお仕事の方々は大好きなのです。 世の中には、驚くような非常識な人もいるし、さぞかし、いろんなご苦労があるんだろうなぁと思う。
5月16日(火曜日)旧千円札
CDの支払いで古い千円札に久しぶりにお目にかかった。 伊藤博文の肖像でしたねぇ〜とつい最近のことなのに、忘れている自分に驚く。 今のより少し幅が広い。 印刷も凝っているような気がするが、気のせいか。  それをとある店で使用したら、20代の店員さんが、旧千円札を持って奥のレジで同僚とヒソヒソ。 戻ってきて何をおっしゃるかと思ったら、「これ、いいんですか? 使っちゃって」。 コレクションする人の価値観は様々だけど、この人はお札、切手の収集してるのかしら。 それにしてもついこの間、中止されたお札に、付加価値なんかあるのかしら? 私は物に執着しないので、コレクションの趣味は全くない。 それに、家が狭いから、なるべく物はため込まない主義。 どうぞ、どうぞ、お好きなように!
5月15日(月曜日)野ばらのブーケ
ホームコンサートでブーケを頂いた。 もう結婚しなきゃね!などと言われ。 しかし、まだそう思っていただけるなんて、驚く。 期限切れじゃないの?と自他ともに認めております。 まっ、ともかくそのブーケは、うら若き乙女が胸に抱いたらさぞや・・と思われる素敵なブーケだった。お庭に咲いている薔薇だけを束ねたもの。 香りがなんともいえない。 温室育ちの薔薇は ツンとした冷たい香りがするが、自然に育った薔薇は風や日差しの匂いが混ざっているのか、仄かで柔らかい香りを漂わせている。 ブーケの中に顔をうずめたくなってしまう。 花でも自然の中で育ったものは、美しすぎない・・変な言い方だけど。 ほっとさせる何かがある。 霞んだような色合いといい、花びらの薄さといい。 ブーケをありがとう!
5月14日(日曜日)子供は蕎麦嫌い?
蕎麦が大好物とここに書いたら、それを読んだ友人が蕎麦でも食べに行こう!と誘ってくれた。 今日の今日だったので、無理で蕎麦はお預けになってしまい残念無念。 ところで、子供は何故に蕎麦が嫌いか、それは体を冷やすからと聞いた。 そういえば、子供の頃、年越し蕎麦が嫌いだった。 いつの間にか大好物になったのだけれど、体にあったものを知らずに摂取しているんだ!と驚く。 自分の体に耳を傾けて食事など気をつけていると、病気にもならずにすむのかも知れない。 たまに普段あまり食べない物を急に欲しくなる事があるが、調べてみるとな〜るほど!と思い当たる事がある。 体にだって意思がある。
5月13日(土曜日)猫の居眠り
吉祥寺のカフェで、太った猫2匹に出会った。 懐かしい赤トラのぶーたれたブチと、のらくろみたいな毛並みの、のんびりした猫。 店内に入ったとたん、猫好きな友人がクンクン鼻をならし、「猫がどこかにいる」とのたもう。 私も猫好き。 ぐるっと見回すと、厨房に入る扉の前、マットの上にグタ〜っと伸びていたのが、のらくろ君。テーブルの隅で丸まっていたのが、赤トラ様。 店内は客でほとんど満員状態なのに、気にもせずに忘我の気分で鼻ちょうちん。 この2匹は、昔懐かしい雰囲気のレトロな猫だった。 今はみな、小綺麗な、神経質な猫が多い。 猫だけじゃなく、人間も。 私はこういう猫に会うとほっとする。
5月12日(土曜日)友人が美しく見える時
吉祥寺の駅で友人2人と待ち合わせた。数分遅れて行ったので、私がラスト。 吉祥寺は今風の若い子がゴロゴロ、待ち合わせでごった返す。改札を出て、きょろきょろ。 思ったより遠くの柱に二人はいた。 この位(ってどの位)の年齢になると結構、個人差が出てくる。 二人はそれぞれ自分の世界を持ち、自分の価値観が総てに現れている。 流行の物を身に着けていない、つまらない風潮に振り回されない落ちつき。 それが表情に現れるのだ!(ノーメイクでしたよ)美しい〜〜と誇らしく思いました。 年輪を重ねて、素敵になれるのは本物。 若い人は今、ツヤツヤで表面綺麗かもしれないけれど、これが時間を経て勝負できるかどうか・・・ここで人間の真価が問われるのだ! 若い時から地道に積み上げた結果が出るという事ですね。 これだけは、にわかにごまかせない。
5月11日(金曜日)母の日
私は、20代で母を亡くしている。 母の日は遠い思い出でしかない。 最近の娘はどう思っているのかしらと、テレビインタビューを興味深くみていたら、ヤマンバみたいな化粧をしている高校生も、黒髪のいかにも真面目そうな子も、同じように「お母さん、大好き!」と答えていた。 それなのに、この親子断絶という世の中。 親には悩みを相談しない子が多いというが、当たり前だと思う。 思春期の子供は、親より友人に悩みを打ち明けるのが普通だろうなぁ。 でも今の世の中、いじめが増えているし、なんとも言えないか。 逆に反抗期も何もなく親にべったりなのは、個の形成がなってないと思うし・・・でも意外とそういう子供が増えていそう。 おかしな一卵性親子が多いもの。 もし、私が母親だったら、きっと厳しいと思う。 たとえ間違っていても自分の価値観で子供をしかりそう。 ダメ親なら子供は乗り越えて成長するに違いないから。 そう信じたい。
5月10日(木曜日)面の皮
女性は化粧をする、近頃は男性もする。 男にも荒れ性、化粧かぶれはあるんだろうなぁ。 人間と言う生き物としてはそう違うわけじゃないんだから。 私は、どんな化粧品を使用してもまったくかぶれない。 アレルギーで苦労している方の話を伺うと、つくづく自分の面の皮は厚い!と関心する。 でもお陰で、経済的だし面倒じゃないし、こういう体質に生んでくれた親に感謝。 もう一方の面の皮はと言えば、とてもナイーブでございます。 本当なんですよ。 でも近頃は、少し厚くなったかも、その方がずっと楽に生きやすいから。 知らぬ間に見につけた処世術です。 こうしてオバサンになっていくんだなぁって〜〜オバサン万歳!!
5月9日(水曜日)落書き帳
今年の春ごろから、落書き帳を日々書き始めた。誰からも何のメッセージも来ないので、きっと気が付かないんだ〜と思っていたら、この所、何人かから、読みました!と言われ、びっくり。 「読まれて恥ずかしいなら、どうして書くの?」と聞かれ、それもそうだなぁと。 私は女性に多い告白癖というのは余りない。 なぜ一年発起して書くようになったかと言うと、「舞台からは想像もできない素顔!」とよく驚かれるからに過ぎないのです。 口もきけない様なおっかない人かと思った!等と言われるとちょっと弁解したくなったのです。 日記というよりは、なんとなく思った事をツラツラとお喋りしてるだけです。 良かったらメールもくださいな。
5月8日(火曜日)川越散歩
一年ぶりに川越に行った。 知人に札の辻まで町中を案内してもらった。 ぶらぶらとお店を冷やかしながら歩くのは楽しい。 洒落た表通りより、一歩裏の路地に入ると、子供の頃遊んだ路地のようで懐かしい。 雑貨屋さんや駄菓子屋さんがある狭い路地。 軒端を長く伸ばして、果物を売ったり。 そこでは、近所の叔父さん、小母さんがお喋りを楽しんでいた。 お寺の境内でも、何の役に立つのか分らないような、面白い道具類なども売られていた。 でも、こういう無駄・日本的情緒は、どんどんカットされる。 人間の心はそうそう変われるもんじゃないから、歪みが色んな所に現れて、引きこもりが増えたり、信じられないような恐ろしい事件が起きたり。 効率と引き換えに切り捨てたものに人間は仕返しされてる。
5月7日(月曜日)錯覚
中央線の車両が、最近新しくなった。 山手線などで使用しているのと同じ、立っているスペースの広いラッシュアワー用車両だ。 私は、電車の中でぼ〜とすることは殆どなく、大抵考え事をしたり、何か書いたりしている。 だからと言う訳ではないが、よく乗り過ごしたり、上下を間違えたりする。車両が新しくなったせいで、錯覚を起こす。 中央線で自宅に向かって乗ったのだが、その後は想像の世界に入り込んでいた。 ふっと顔を上げたら、車両の雰囲気が山手線の感じ、「ここはどこ? 私は誰?」状態に突入してしまい、認知症ってきっとこんな感じなんだろうと恐怖の体験をした。 一つ一つ、確認して次の行動に入れば良いのだけれど、なんとなくフヮ〜としていると、すぐボケ状態になる。やはり脳はあきらかに加齢に向かって突き進んでいる模様。
5月6日(日曜日)仰げば尊し
家で片付け物をしていたら、「仰げば尊し」の合唱がラジオから流れ出した。 とたんに私は中学時代にタイムスリップ。 今の子供には、あまり愛されてないかもしれないけれど、私の頃は、卒業式と言えば、必ず「仰げば尊し」でした。 まだ大人になりきれない声、その合唱、ノスタルジーとはこのことかも。 真っ只中にいるときにはけして分らない、この胸が熱くなるような、もの哀しいような、それでいてどこか別れも楽し〜という様な快い感じもあって、青い春とは良く言ったもんだと思う。 自分が誰か、何者か分らない、ましてや他人の事なんか。 でも、今の子供は、この歌詞をシミジミと噛み締めて唄えるような状況では、ない。 私の頃は、本当に良い時代だった?のか・・・そうなんだろうなぁ。 でも、あの頃に戻りたいとは思わない。 今が常に一番いいと思う私。 いつも前向きに、これが本当の青春ですよぉ〜〜
5月5日(土曜日)足腰は大切
私は、子供の頃から年頃を経ても、いつも年上の友人・知人に恵まれてきた。 年下の人にはどうも余り縁がないらしい。そのお陰で、人間だんだん歳を重ねるとどうなのか、知識としては結構、入っている。 足腰というのは、本当に鍛えておかなければ80歳過ぎに急激に老け込む。 また、精神的にも衰えてしまう。 なんといっても一人で歩けないというのは情けないし、鬱状態に陥る。 それでなくても存在価値を否定される状況なのだから・・・ 少しヨボヨボしかけても、頑張ってゆっくりリハビリをすればまた、きっと歩けるようになる。 その気力を持つ事、あるいは、持たせて上げられるか・・大事な事ですね。 私は一人暮らしなので、今は気楽ですが、先行きの自分をふっと思うことがあり、足腰だけは鍛えておこうと思ってます。 精神的には、深く、豊かになるのに、体力が付いていかない。 このアンバランス、皮肉ですねぇ。
5月4日(金曜日)久しぶりの鎌倉
近い観光地ですね、鎌倉。 もう数年行ってなかったので、久しぶりに楽しみに出かけた。 ゆっくりお寺をまわって、花を見て〜っと。 ところが、そんな想像とはおよそかけ離れた、人、人、人の波。 いかに私が、連休に出歩かない人種であるかが、分る。 あるいは、想像力の欠如と笑われる人種であるか・・・上野のアメ横みたいなんですよぉ。 友人に誘われたので合流したのですが、花を見る気にもなりませんでした!がっかり。 よっぽど新宿御苑や明治神宮の森の方が森林浴もでき、花も綺麗。(怒) ところで、観光客のほとんどが、中年以上の女性グループでした。 世の男性は家で相変わらずごろ寝でしょうか。 女性の元気さばかりが目立ちます。
5月3日(木曜日)子供連れ
お昼ごろといえば、平日は昼間に電車に乗っても、ガラ〜っとして必ず座れる時間帯。 ところが、やはり連休。 電車の中はベビーカーを押す男性や小さな子供の手をひくお母さんでいっぱい。 平日のような緊張感もなくローカルな電車に乗っている気分。 私はと言えば、新宿まで待ち合わせで出るところ。 のどかでいいなぁとつい思うけれど、近頃、日本もうかうかできない。 余りに殺伐とした世相になって、前後左右の客を伺うような気分になってしまう。電車で居眠りできる良い国だったのに。 ヨーロッパなどは、居眠りする人はいない。 そんな事したら荷物をさっさと持っていかれる、目を開いていたって奪っていくんだから・・・
5月2日(水曜日)尊敬語
電車の中で、18,9才の女の子3人が、「ねぇ、電話の時、どういう?難しいよねぇ、敬語。」 とお喋りしてる。 若い娘達は、バブルがそこだけ弾けているような神経に障る喋り方をする人が多く、いったい何語なんだ!と呆れるが、こういう若い子もいるんだと、ほっとする。 日本語は本当に難しい。 私にしても、以前にくらべ、自分の言葉使いに不安がよぎる。 今は年配者の綺麗な言葉使いに接する機会も減ったし、生活そのものが変化しているから、だんだん古来の美しい日本語を使うチャンスそのものがない。 使用しなければさび付くし、忘れてしまう。 巷では、おかしな言葉使いやアクセントがあふれている。 音で入ってくる言葉は意外と脳に影響を及ぼす、知らぬ間に口をついて出てくることもしばしば。 ヘンな日本語ウイルスに感染しないようにしなきゃ。
5月1日(火曜日)花は
牡丹、芍薬が見ごろのはずだけれど、今年は温暖化で例年より早く終わってしまったらしい。 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花・・・と昔は女性の麗しさを表現したものだそう。(今、そんな表現をしたくなるような娘にはめったにお目にかからない) 花はなんでも好きだけれど、特に牡丹、芍薬、百合は好きだ。もちろん、薔薇も。 華やかな花を、本当にいいなぁと思うようになったのは、最近。 昔はコデマリのような楚々とした木なのか、花なのか分らないようなのが好きだった。 今も好きだけれど、それを花というより、木として好んでいる。 子供の頃は結構渋い好みだったんだと呆れる。


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