日記

                                                                   2009年8月23日更新

2009年8月3日(日) 捨て猫

この2,3日、仔猫の鳴き声がする。 声の感じからすると生後3ヶ月位か?早朝や、夕方にミャ〜オと鳴き喚いている。 動物とは言え、鳴き方がなんともせつない。 こういう泣き声を聞くと、動物には、人間より豊かな喜怒哀楽がある。 誰か、助けてよ!と伝えている。
私もつい、手を差し伸べたくなるのをグッとこらえるのが辛い。  

どうせ、飼ってもすぐ手放さなきゃならない。 面倒をみる条件が整っていないのだ。 子供の頃は、自然も人も総てが大らか、動物も人も一緒に生活していたが、都会はそうはいかない。 でも、どうやら飼い主が現れたらしい。 私の家の周囲は野良猫が多く、猫にとってはありがたい環境だとは思う。 ドラ猫に成長し闊歩する姿、期待してるよぉ〜

7月24日(木) 満天の星空

その日の前後は雨、どんよりと曇って湿度も高く、鬱陶しい天気だった。 夜になると、天候は一変し、群雲の切れ間から大小の☆がキラキラ瞬き始め、夜も深まるにつれ、雲はすっかり晴れて満天の星空になったのだ!「!」マークをつけたくなるほど高揚した私の気分。 東京にいると、空を見上げるなんて気持ちにならないが、その夜は3時間ほど、テラスに座って星空を見上げていた。 その間、飛行機が3機、新潟の方向にゆっくりと☆の海をぬって消えて行った。 

友人は、「☆ってのはね、空が破れて光が漏れているのよ」なんてノタモウつわものなので、会話もざっくばらんで私は、心からリラックスでき、星空を堪能したのです。 友人は流れ星を3個も確認。 その内の一つは、今まで見たこともないような、巨大な流れ星であった・・と友人。 私はと言えば、ずっと星空を眺め、いい加減首が疲れて、ほんの一瞬下を向いたのですが、まさにその時、一陣の風のように巨星は流れたのです・・・ まぁ、それが私の運なんですねぇ。

7月2日(木) お喋りタイム

やはり、話していて楽しい人とは、良い友達関係が続く。 仕事上、プライベート以外にも色んな方とお会いするけれど、一番苦手なタイプは、一方的に自分のことだけを話す人。会話の弾む人とはまたお会いしたいなぁと思う。  例えば興味が無い話題でも、うまく土俵に引き込まれ、知らず知らず身を乗り出して、耳を傾けてしまうようなお話をする人もいる。 まぁ、そこまでは望まないけれど、こちらに口

を差し挟むスキもないほど、何時間でも喋る人は、相手が誰でもいいのではないかしらと思う。 なぜって私の顔つきは、つまらなそうに違いないのに、気がつかないのだから。 きっと日ごろのストレス解消のために、話しているのかもしれない。 程よくキャッチボールが出来るような会話をしたいなぁと思う。 近頃、私は興味が無くなると、自動的に上まぶたが下まぶたにくっつきそうに・・・なって・・しまいま・・す・・・ゴメンナサイ

7月1日(水) お掃除のバイト

20歳のスポーツ仲間がいる。 ある日、JRの中でばったり。 と言っても、その子は電車に揺られて居眠り。 疲れていたらしい。 聞けば、舞浜ディズニーランドでお掃除のバイトをした帰り。 土日だけでなく平日もやっているという。 たまたまその日、私は駅のベンチを初老の方がお掃除してくださっているところに居合わせ、大変なお仕事だけど、ありがたいなぁ〜お陰様で気持ちよくベンチに座れる  

〜と思っていた矢先。 その事を彼女に話しながら、人に感謝されるお仕事よね、疲れると思うけど、頑張って!と言って別れた。 この不況で、先輩も就活に苦労しているとも話していたが、大学生も世の荒波を在学のときから受けて、しっかりするだろうなぁ。 電車のシートで眠そうな目をした彼女の姿、お化粧っ気のない素肌が美しかったですよぉ。 

6月27日(土) 近頃の男子
私の世代は、「デートでは、男性がおごる」のが普通だった。 男は大変だなぁ〜と若い頃は思ったものだ。 ともかく一家を支え、会社では部下を支え、がっちり稼げなきゃ、男の風上にも置けないと女性からもそっぽを向かれそうな風潮ではあった。 だんだん、女性も男同様の権利を主張し、経済的にも強くなると、か弱い女性をかばわなければ〜等と言う男子の気持ちも薄れ・・という事なんだろうけれど、昨日、「奢ってよぉ」なんていう若き男子!のセリフが耳に飛び込

んできて思わず振り返り顔をみれば、同世代の女子と肩並べたその男子、20歳前後だろうか、ごく普通の子。 別に女っぽくもモデルっぽくもツバメっぽくもなく。 「奢れないわよぉ」と軽くかわす女子の声。 へぇ〜世の中、どんどん変わってるわ、男子も楽に生きてる〜と思ったのであります。 ところで、女子はそういうシチュエーションも楽しいのでしょうか?

6月26日(金) 東京タワー

東京タワーという映画も、三丁目の夕日も見た。 どちらも、日本的情緒にあふれていて、やっぱり日本人の感性っていいなぁと思う。 映画のシーンに何度も東京タワーが登場し、知らぬ間にタワーそのものにも親しみを感じてくるから、面白い。 ところで、この東京タワーが出来たいきさつを知っている? 私はいつもの事ながら、知らなか

った。 朝鮮戦争の時、ある古物商が、アメリカ軍の戦車を買って溶かし、タワーの骨組みとして活用したんだそう! エピソードとして知られている事らしい。 それを知ってから東京タワーを眺めると、感情をもったロボットのように見えてくる。 何を思ってこの大都会の喧騒を見下ろしているのだろう。

6月20日(土) 梅雨が変わる

梅雨入りした。 近頃の梅雨は、晴天か雨かのはっきりした空模様が多いと感じる。 子供の頃は、しとしと数日降り続く事もあり、もっと穏やかで鬱陶しい梅雨だったような気がする。 これも温暖化の影響だろうか? いずれにしろ、私の好きな梅雨はだんだん失われてしまう気がする。 そのうち亜熱帯の様にザーッとスコールがやってき

て、カリウシウエアとムームーの男女が椰子の木陰で雨宿りなんて・・・ちょっと日本のイメージが変わるような環境変化があるのかもしれない。 ず〜と先の事だろうけれど。 その頃には少なくとも「秘すれば花」の精神は消えてなくなる。 今だって、かなり乱れているのに。 風土が、人や文化を作るんだから、当たり前か。 

6月16日(火) 年齢が読めない

もともと、人の年齢は聞かない。 変な先入観があると、フランクな会話ができない。 若い人とも、高齢者とも余り年齢を気にせず、会話を楽しむことにしている。 もちろん、余り失礼のないようにではあるが。 私は人の年齢が読めないと思う。 人により、驚くほどぴったりと年齢をあてる人もいる。 例えば私が40歳代だろうと思っている若々しい女性について、「あの人は51歳くらいよ」などと耳打ちする。 

ところが、何かの拍子にその予想がぴったりだと判ったりする。 なんとも、いや〜な感じがするのだ。 相手から醸し出される香りや、気持ちの若さなんかに絶対惑わされない厳しいチェック機能を持っているんだろうなぁ。でも私はそういう才能なら欲しくない。 騙されるのも楽しいから。    

6月15日(月) 母は逞し
疲れている時は、17段ほどの階段が倍くらいに見える。 その上、キャリーで移動している場合は、もう最初から戦意喪失してすごすごエスカレータの列に並んだりする。 そんな私の横を、ベビーカー(それも結構大きい)を押して歩く若いお母さんが通る。 もちろんエスカレーターだろうと思い、ちょっと列にいれてあげようと思った矢先、彼女はあっという間にベビーカーを両腕で抱え込み、 歩いている

時と同じテンポで階段をスタスタ昇っていく。 心の中で、見事なパフォーマンスに拍手していたほど。 ベビーカーに乗せていたのは、赤ちゃんかと思えば、2歳くらいの男の子だった。 買い物袋も小脇に抱えていた。 それより、私が見事と思ったのは、彼女が誰か助けてくれないかなぁ、などという甘えはみじんも見せないその潔い、爽やかな行動。 あぁ、母は逞し。

6月4日(木) いつかのカラス

その日はいつになく気分も爽快、早朝から、玉川上水の散歩コースに出かけるぞっと、ジーパン、Tシャツ、野球帽にタオルといういでたちで、気分よくドアを開き路地をスタスタ歩いていました。 ところが、颯爽と出した右足スニーカーの前方、50センチ程の黒い地面に突然、ペチャっと薄黄色の水仙のような花が咲いたのです。 胸に覚えのある私は、すぐさま 「おのれ、怪しいヤツ」と上空を見上げました。 案の定、見慣れた黒装束、鳥にしてはどでかい図体をもてあまし気味に電線にゆだねている、一羽の太ったカラスがばっちり目に入りました。 
人間様を上から見下すとはなんたる不埒なやつ。 すんでのところで、頭に「糞の冠」を戴くところ、油断もスキもあったもんじゃない。 「そうは上手くいかないぞ!」とキッとにらみつけてやりましたが、逃げるどころか、悠然とこちらを見ています。 カラスは人の見分けはもちろんの事、なんと表情まで読み取る頭脳のすこぶる良い?鳥らしいが、私には、電線上のカラスが、いつか追っ払ったカラスかどうかなんてわかるはずもなく、いちいち特徴をメモするほど、カラスの生態に興味もなく、暇もないのだ。

カラスなんてみんな真っ黒。 そりゃ、間近で毎日、顔突き合わす仲になったら、「何だか家のカラスとよそ様のカラスは違うようだわ」くらいは言い出すかもしれない。 そう、カラスにだって分析能力は負けないぞ。 しかし、どんな賢いカラスであろうと、生ごみのビニール袋をつつきまわし、ゴミを好き勝手に撒き散らす、その傍若無人ぶり、奴には、ほとほと愛想をつかしました。 
生ゴミがカラスの命綱であっても、不衛生極まりないので、防護ネットでばっちりガードしてからというもの、 奴は「カァー」というとぼけた一声を残し、バタバタと重い羽をばたつかせながらいずこかへ立ち去ったが・・・・。 あれは、単なるその場しのぎの諦めの演技であったのか。 その時、奴はあわてふためいた様に、バタバタ羽をあおりながらも、私の顔をしっかり脳裏に刻みつけ、カラスの記憶能力を人間様に誇示するため、再び現れたのか。 それとも、それとも邪魔された腹いせの糞攻撃か〜〜あるいは過日、シッシッと情け容赦なく追っ払らわれた恨みを晴らすためか。 どっちにしても、奴はわざとやっている!!に違いないのだ?という訳で、カラスとも私は、結構遊べる。  

6月3日(水曜日) 詩人会議

詩で食べるのは、ほとんど無理な世の中。同じ言葉の表現でも小説とは違う。 詩人のグループで歌う機会があった。 いくら言葉の達人が集まっていてもお酒が入ると人は変わる。 きっと普通の宴会のように、賑やかな事だろうと想像していたのだが、とても熱心に聴いてくれ、またすこぶる気に入られた。 嬉しくなってしまう。  選曲も平家物語の祇園精舎の段に曲をつけたオリジナルや、ランボーの七歳の詩人、死神フランコなど 宴会には不向きな曲ばかりだったのだが・・・

 文化人(?)でも、守備範囲が違うと、あの見識高い方がコレ!と言うような、あっと驚く好みだったりもするのだが。 詩人といえど、いまどきの派手なヒットしか興味がない人もいると思う。 もしそうであっても、私の歌を静かに聴いてもらえたのは、本当に有難かった。 仲間意識みたいなものが私の中に芽生えたような・・・ タノシカッタ!

6月1日(月曜日) 岡田監督ファン

今年はWBCの年。 また日本野球が世界一になった年。 システムや裏話など、問題は山積みらしいが、シロウト観客としてはそれなりに楽しめた。 スポーツはなんでも好きだけれど、90年代から私は、サッカーに夢中。 スピード感となかなか得点できない状況が続く中、奇跡かと思うような得点時の爽快感がたまらない。 いよいよ、アフリカ大会出場まであと1勝!
サッカーの実力も去年に比べ、大分上がっていると思うのに、ドイツ大会での惨敗の影響か、マスコミの扱いはかなり冷たいらしい。 

私は岡田監督のファン。 何か揺ぎ無い信念がこの人の中にはあって、それが魅力になっている。 熱い魂があるのに、分をわきまえた物言いというか、それが伝わってきて好きな人だ。 いつも大変な時ばかり出番がまわって来るこの人の運命も面白い。 陰口、悪口など一切気にせず、力いっぱいやって欲しい。 もちろん、そのつもりだからオシム監督の非常時に引き受けたんだろうけど。 ちなみに岡田監督自身が「俺はオバサンには好かれるんだよ」と言っていたから〜私もオバサン太鼓判押してもらったようなもの。 人格者というと硬い感じだけど、なかなか大した人だなぁと思うこと多し。


2008年9月16日(火曜日)近頃呆けた話
私は、あまり街をうろうろする趣味がなく、仕事上、ドアtoドア状態で六本木や銀座の有名店の前を通りすぎる程度です。 その上、私はあまり周囲をキョロキョロする癖もなく、お金もないのですが。 ある日、そんな私の耳元に、微かな風に流され、青年の浮き浮きした誘うような声が聞こえてきました。それは、たそがれ行く銀座並木通り、ネオンの灯もチラチラ灯る頃でした。 タクシーが何台か連なり、賑わう横断歩道で立ち止まった時の事。 ダンディに着こなした男性が見えます。 まさか!この私に! いくらなんでも、そんな思い違いをするほど、自分を知らない私じゃありません。 残念ながら、男性に声を掛けられる妙齢は遠の昔に過ぎ去っております。 勿論、声が聞こえた方向に顔を向ける勇気もありません。 でも、私の右目の端にはどうやらすら〜っとした美女がチラチラ見えたのです。

 花なら、ピンクのトルコ桔梗のような、可憐で儚そう、色白の娘です。 信号がゴーサインになると、娘は裾を長く引きずった薄絹のサーモンピンクのロングドレスで小走りに舗道を渡ります。 腰から下には銀河かと思うようなシルバーのキラメキ。 歩くたびに、小舟が揺れるよう。 あぁ、彼女と一緒に銀河の海に小舟を浮かべてみたい。 男なら思わず見とれそう。 でも現実的な私が目を奪われたのは、レンガの歩道をなでてゆく透けたピンクの裾。 ルイ14世のパリでもこうであったろうか〜〜マリーアントワネットはいかに〜〜裾がぁ〜汚れるぅ・・・・なんてハラハラしているうちに、自分の入るべきビルを通り過ぎ、時空までクロスオーバーしてしまったのか??一瞬、ここはどこ?私は何をしに銀座に?状態になってしまい、そのあたりを行ったり来たり、うろうろする事、1、2分。 現実にもどって、私自身と私の行くべきビルの入り口を見つけ、ほっと胸をなでおろしたのでした。 これはやはり、ボケでしょうか?

9月11日(木曜日) 雑草の照明

観葉植物が好きで、家の中に何鉢も置いて育てている頃もあった。 今は日当たりが悪くなって適さないので残念ながらやっていない。10年程前から、階下の玄関先に見たような観葉植物がうっそうと茂って目にも鮮やかな緑の絨毯になっている。 名前も忘れたこの観葉植物は、私のベランダで育っていた緑ちゃんに違いないのです。
当時、大家さんがベランダを直してくれたのだが、この方がまた植物大好き人間。 

きっと外の鉢にあった名も無い緑を庭に接木したんだろうなぁ。
今はもうその大家さんはこの世にいない。  「綺麗でしょ、良かったら、手折って持っていっても良いわよ」と大家未亡人。 
良い場所を得て、植物も幸せ、緑の絨毯を毎日眺める私も嬉しい。 天国のおじ様も「フフフ花泥棒に罪はない」と笑っているでしょう。  

9月10日(水曜日) 波超えの先は

沖縄の瑠璃の島に行った若い娘が言うには、「遠浅の海はぁ、どこまでも青く素敵!!だけどぉ岸近くは岩があったりぃ変化には富んでいるけどぉ、大して感動もしないのぉ、ある程度行くと波が押し寄せてくる場所があるのぉ〜、すっごく乗り越えるのが大変なんだけどぉ、でもそこを懸命に力振り絞って乗り越えるとぉ、まったく嘘みたいに凪いだ瑠璃色の海が広がってぇ、綺麗なオサカナは泳いでいるしぃ〜天国みたいなのよぉ! 

本当に人生とおんなじだなぁって思ったのぉ〜」とコンガリ焼けた砂糖菓子みたいな笑顔で言う。
まだ彼女は20歳半ば、人生と同じ〜なんて・・・そんな発言を裏付けるような、つらい体験でもしてるのかなぁ。 きっと受け売りだろうけど、でも微妙に言いえてる。
人それぞれ他人には計り知れない事があってもおかしくないし、年齢じゃないって、思ったのぉ〜私も(?)。あぁ!青春! 瑠璃色の海! 

9月9日(火曜日) 歌のこと

だいぶ前に、交通事故で死に損ねた歌手の知人が、「この体験で、もっと唄に深みが出るでしょうねぇ、きっと。 と言うファンがいるんだよ、音楽ってそんなに簡単なもんじゃないよ」と嘆いていたのを思い出した。 今、ホールでは、60過ぎの男性、女性が心をこめて歌っている。 シャンソンは人生を歌うもの、だから・・・と熟年の歌手志望が増えている。 歌うのは心にも体にも栄養になるし、暮らしにも潤いを与える。 実際、本格的に唄の道を歩む人もいる。
人生経験は財産だけれども、それを唄に生かすための、音楽的な表現に磨きをかけなきゃ人生に見合う歌にはならない。 

60過ぎの人が、無垢にひたすら一生懸命歌う姿はとても素敵です。 それが年齢に似合わず、幼く感じられるのは、きっと経験を音楽として他者に伝える表現力が不足しているからだと思う。 ここを乗り越え、経験に見合う表現力がつくと、それからは人間的な幅が物を言う、そしてそれが最後には力を発揮する。 
やはり、何でもそうですけれど、 くじけずに努力する人に、芳醇な時が訪れる。 そうであろうと信じて、 切磋琢磨したいと私も改めて思った次第。

8月29日(金曜日) 落雷

昨夜もひどい豪雨だった。 我が家は機密性が高いと言えば聞こえは良いが、雨にさらされるチャンス?がない、袋小路にあるからで。 それゆえ、雨の音が響く時は、かなりの降りだと分かる。 
夜半に雷の地響きで目が覚めた。 ピカっと稲光がしてから2,3秒で、ガッシャーンと落雷の音がするから700メートルほど近くで暴れているらしい。  

室内でもゴーっという地響きに伴い何かがカタカタ鳴りだす。 久しぶりに猛烈な雷。 「地震、雷、火事」のまさにその順番で恐怖!を感じる私なので、外出中でなくて本当に良かった! しかし、今年は余りに集中豪雨が多い。

6月12日(木曜日) とかくフランス人は

フランスの友人がパリ祭に合わせて、来日公演したいという話があり、色々コネクションをあたり、日程まで決めたのだが、案の定、オシャカになりました。 日程調整など、お手数おかけした私としては、大変申し訳なく思い、その旨伝えたら、ライブハウスのオーナーがフランス人はそんなのが多いので、大して驚きません。 とのコメント。

 ラテン系の人は結構、そうなので・・・反論もできず。
「風土は人を作る」とつくづく思うので、日本人みたいに律儀じゃないのは仕方ないとしても、一人で生きてるわけじゃないんだから、他人様の迷惑も考えて欲しいと思う。
でも、フランス人の中にも、日本人より日本的な人もいるし・・・アバウトな発言は控えた方がいいかもしれません。 とかく日本人は〜などと言われるとこっちも気分は良くないから。  

6月11日(水曜日) 子供嫌いが・・

子供はもともと好きじゃなかった。 未婚の娘が「子供だけ欲しい〜〜」なんて言うのを聞くと、宇宙人みたいに思う。 かと思うと子供を産んだ事ない女性は女じゃない、カタワだみたいな発言には、あきれもする。
みんなそれぞれの価値観で生きているんだから、何をかいわんや・・アホらしい。 

ところが近頃、子供も可愛いわぁと思ったりする。 動物は大好きでも、人間の赤ちゃんに対する母性本能はゼロだった私にしても、この変化。 年のせいかもしれない。 もちろん眺めて可愛いと思うんであって、育てたいなどとはユメユメ思いませんが。 ヨチヨチ歩いている赤ちゃんをみると、つい顔がほころぶ。
人って変わるもんだぁと思う。

5月21日(水曜日)東京電機大学で歌う

NPOアートバーブス(里山でアートを)の企画で鳩山キャンパスで歌ったのです。 観客の大学生は数える程でしたが、シャンソンに縁のない若い世代の意見が聞けて有意義でした。年配者を無視しているんじゃないですよぉ。 年齢と共に、人の好みは変化することも、大人の好みも大体理解しているつもりなので。
若い人は、私の想像通り、レオ・フェレの歌にすこぶる良い反応で、シラッとする熟年を横目に、「シャンソンはなんと現代的、かっこいい歌」と思ったらしい。 

私も若い頃を思い出すと、情緒たっぷりの曲より、時代を先取りしているような新しさに惹かれるって事はありました。 それが若さというものかも。それを継続している私はまだ未熟?それとも気が若い!のかなぁ。 
でも、来てくださった方、それぞれが色んな事を感じてくださったようで歌った甲斐がありました。大学の「偉い先生」というイメージもふっとぶような頭の柔らかい先生にお会いでき、それも大収穫の一つでした。 次回は7月12日(土)です。是非いらしてくださいね。

4月4日(金曜日)花見

春に花見なんて・・とずっと思っていたが、この数年、新宿御苑の桜を眺めてからというもの、花見にはまっている。 桜はその木がどんな環境に植わっているかによって随分印象が違う。 人が混雑している時間帯は絶対にダメだ。 

桜が「私はここで見てもらうのが一番なの」などと言って、動いてくれればいいけど。そういうわけにはいかない。 あんまり人がザワツキ、また天気が良すぎるのも美しくない。
周囲にある風景で桜は、美女にもブスにも見える 。
早朝の静かな時間で、曇り空で、人影もまばらなうちに、眺めるのがいい。 

2月15日(金曜日)お札は葉っぱ?

私は、ご飯党なんですが、たまにパンがむしょうに食べたくなり、買いに行くパン屋さんがある。 ところが、いつも狐につままれた気分になる。 何故かというと、さぁ、今日はあのパン、いつか食べた、丸い田舎パンを食べよう〜っと、それを買いに行くと、中年の女店員さんが、「うちではそういうパンは作っていません」という。 

また昨日は、先日買ったソフトフランスパンが無くなったので行くと、今度は若い男子店員君が、これまた「うちでは、そういうパンは作っていません」というではないか。 一度目は、「はてな?私の思い違い?勘違い?」と納得させたが、こう度重なると、もう怪しいものだ。 今度、葉っぱを持って買いにいこう。 案外それでパンが買えるかもしれない。

2月14日(木曜日)魔が差す

よく魔が差すと言うけど、実際これがそうか!と思った事はほとんどない。。。と思う。(笑)こういう堅実なたちで、良かった。
世の中、益々わけが分からなくなっているから、根っこをしっかり大地に下ろしておかなきゃ、どこまで流されるか分からないもの。 

生まれ出てから置かれる環境は、その後の生き方に大きな影響を及ぼすだろうなぁ。 その点、恵まれている環境じゃなかったけど、それが幸い?したと言うことか? 適度な魔なら差して欲しいけど、適度じゃないから魔なんだろうねぇ・・・・・

1月1日(火曜日) 一富士 二鷹

元旦は雪化粧をした富士山の雄姿が見事だった。 東京からごくたまに見える姿は、余りに小さく、青く霞んで空なのか山なのか稜線もはっきりしない。 私にとってそれは富士山ではない。
なぜって子供の頃住んでいた家の庭からは、夕日に染まる赤い富士の姿までが視界いっぱいの大きさで拝めたのだから。

今思えば、なんと贅沢な借景だったか。 久しぶりに雄大な富士山を拝んで、気持ちの良い新年だった。 今年は胸のつかえがとれるような痛快な事や、楽しい事がいっぱい起きるよう祈らずにいられない。


2007年12月17日(月曜日)大掃除

今年もそろそろ、色んな整理をしたり、これからの事を考えたりする時期になった。 住まいの片付けもそうだけど、感情の整理っていうのもあるんだよなぁ。 どの箱に入れるべきか、捨てるべきかと悩んでそのままにしていた物も、選別しなきゃならないし・・・忘れてどこかにいってしまったものもある。 

そういう物の中に、どうしても知りたい、どうしても探しだしたい、欲しいものがあったりして、整理がなかなか終わらない。
私、「若林圭子」をも誰かさんが、さっさと捨ててしまったり、思いがけず大切にしまってくれていたり、何気なく忘れられたりしてきたんだろうなぁ・・・なんとなくアルバムを整理していて、こんな事もあったなぁと懐かしくなりまた復活する関係もあるか・・・これも輪廻転生? ふ〜む。

11月16日(金曜日) オバサン化

昨日のハッピーな出来事を思い出しぼ〜としてた訳ではないのですが、たまに自動改札機からポンと飛び出した切符を取り忘れてしまいシレっとして次の改札口に行って気がつくことがある。
本当にボケの私ならではの話なんですが。  
乗り換え切符などの場合に良くポカをやります。 今日は、たまたま同行の友人に照明してもらったので、信用してもらう事ができ、数千円を支払わずにすんだ。

若い頃は、こういう時、言い訳とか交渉なんかできずに鳴き寝入り?(自分のポカなので可笑しな言い方だけど)授業料を支払っていた。
でも、やはり年月というか経験は、女を強くする。 近頃、こういう時もオバサン化を自覚させられる。 図々しくなりました!
それにしても、今日の駅員さんは優しかったけど、オバサンには駅員さんもキツイ。 
若いから、正直って訳じゃないのに、見てくれにやはり男は左右されるのかぁ

11月15日(木曜日)なんとも残念

私は指への神経が行き届かないのか、物を取り落とすことが良くある。 ある日、改札を通ろうとしたら、何の弾みか、切符が手からヒャ〜っと飛んでしまい、改札口の向こうへひらひら舞って数メートル先に落ちてしまった。  どうしようかしら?と改札を通過する乗客を見ていたら、バックパッカーのお兄さんが気が付いて切符を拾って、改札のこちら側で指くわえ状態になっていた私に手渡してくれた。 

ロミオとジュリエットを無情にさえぎる自動改札機!! 
お兄さんは、はにかんだ笑顔を見せて立ち去りました! 残念! 今日は、いずこの空の下の旅行者になっていることだろう〜〜
オバサンは、こういう奥ゆかしく情緒ある冒険者に弱いのです。 またきっとお会いできるだろう日を信じて。。。。

11月6日(火曜日)犬は

聞多くんという犬にあいました。  甲斐犬というあまりいない犬種。 私は、犬より猫派なんだけれど、この犬は、性格が穏やかで、品があってとっても良い子、とすぐ分かった。 2歳くらいかなぁ。 
なんてことないんだけど、それがこちらに伝わる。 しぐさとか目つきとか。 へんに尻尾をふるわけじゃないし、用心するわけじゃないし、ごく素直で自然 な態度。人間様も見習ったらどんなに仲良く暮らせるだろうと思うほど。 

犬は表情筋があると聞くが、そのせいか表情も豊か。 聞多クンに会ったら、犬を飼いたくなった。 でも、犬は散歩させなきゃいけない。
私の住まいの真上にいた住人は、アプルという名のゴールデンレトリバーを飼っていたが、 真夜中にご主人様が帰還しても必ず散歩に連れていく足音がした。 でないとアプルがクンクン鳴き、散歩してあげるまで鳴きやまない。 きっと運動不足だったんだろうなぁ〜ある日、突然死してしまったんです。 犬を飼うのは覚悟がいる。 

10月5日(金曜日)居眠り

ロングヘアで顔は分からないが、フリルで飾られた透けた胸もと、ピンクのミニスカート、内股になった脚にショートブーツ、ひとめで今どきの娘とわかる。 手には発達心理学という本が軽く握られてはいるが、今にもずり落ちそう。
保母さんにでもなりたいのかしら? そのファッションと保母というイメージが重ならない。私の頭はかなり古いのだと、こういう時に感じる。  

若い娘はオシャレに、無関心ではいられない。 そりゃ、モデルの様に可愛くて、その上、優しくて信頼できる保母さんなら、そんなに素敵なことはないでしょう。 子供も綺麗なお姉さんは大好き。 
しっかり勉強して新しいタイプのカワイイ保母さん目指して頑張って! 

10月4日(木曜日) ジァンジァンの跡地で

渋谷公園通りにあったジァンジァンは、20世紀末で閉鎖されたけれど、その跡はどうなるのかなぁ〜なんて期待半分、淋しさ半分で眺めていたら、カフェとライブハウスになりました。 昔の小屋の楽屋部分がライブハウスに化けたらしく、と言っても土台だけ、中身はまったくすっきり取り払われて真四角の空間。 ちょっと無愛想すぎる位だけれど。
でも昔の匂いが感じられるような気がして、ここでライブをしました。 私はやはり地下が好き(笑)らしく、気分が落ち着くのが良い。 歌

手としては、場所の雰囲気ってすごく大事。 ほんのちょっとした、照明の効果や、客席の配置、天井の高さ、床の感じ、出入りの位置など、大きく影響される。 
でも、一番大きいのは、お客様の雰囲気だけれど。 それも、歌手と客席との心のキャッチボールで構成されていくんでしょうね・・・やはり人間は生き物だから空気感に影響される。  

10月3日(水曜日)画廊で

ある画廊で、オーナーが言っていた。
絵は見るものと日本人は思っている。 また四季が美しいから、あらためて絵で風景を眺めなくても、実際の四季の移り変わりで十分満足してしまうところがある。 厳しい気候風土の国の人は、絵によって慰められるから絵は持つものと思っている。 
その画廊のオーナーも、若い頃、ある絵に一目ぼれして買ったけれど、自宅に飾ったらちっとも感動が蘇らず、しばらくお蔵入りになった。 

最近、取り出したら、すごく身近に感じられた。
そういう自分と絵との対話というか、微妙な距離感というか、大げさな事ではなく、何か自分を知るきっかけになる事もあって〜という良いお話を今日伺った。 本当に絵を好きなんだなぁと。
私も、美術館は時々行く。 イベントで歌うこともある。 画家の様々な表現に出会い、触発されるし、また画家の初期から晩年までを眺められるのは、貴重だ。 様々な示唆が得られる。
衣食住たりて・・と言うけれど、絵ももう少し安く買えると嬉しいなぁ。

10月2日(火曜日) 捨てるもの、拾うもの

初老の絵描きが話してくれた。 絵を描いていると、その時々の自分が捨てるもの、拾うものがあって、ある意味、自分自身との対話が自然になされて楽しいと。 それは歌い手にとっても、同じことがある。
歌も長い間ずっと歌い続ける曲もあれば、歌ったり、歌わなかったりするのもある。 数年ぶりに取り出して歌ったりすると、その間に自分の感覚が変化したのがわかる。

以前はこだわっていた箇所が、今となっては無駄に思えたり、年齢と共に深まった感情を、思いがけず歌の中で拾い上げたりできる。 
自分自身と対話しながら、まったく新しい視点で歌に入っていく事がある。 まるで第三者のように自分を眺められるし、なんとも楽しい時間だ。

10月1日(月曜日)消滅したもの

普段、何気なく歩いている道、ある日、ブルーシートに覆われ、建築物は消滅し、工事中になっていた。 はて?ここに何があったか?考えてみても思い出せない。 私は、それでなくても周囲に気を配り、景色を確認する習性が欠けている。 例えば、肉親とすれ違っても気がつかなかったりするのだ。 目の前で手をヒラヒラされて、やっとそれと気づく。 目を開けていても、目の前のものを見ていない事が多い。

何か、考え事をしながら歩いていたり、ボ〜としていたり・・・ そういう私が言うのも可笑しいが、見ているようで案外見ていないものだと思う。 人の記憶ほど、あいまいなものはないと思う。  工事中になって初めて、ここ何があったっけ? と首を傾げても思い出せない。 なんだか、悲しくなってしまう。 建築物だからと言い捨てられない気がする。 もっと周囲をよく観察せよ!と私自身を叱る。

9月27日(木曜日)ダイエットばやり

今、世の中には、あふれるほど色んなダイエットが流行っている。 太りすぎて、健康を害すなんて昔なら考えられない。 平和だからだろうねぇ。 地球的にみれば、飢餓状態の子供もいる。 病気で食べられない人もいる。 今日、ホームで車椅子に横たわった男性を見た。 病気なのだろうかげっそり痩せていた。

なにげなく目をやったら、その二の腕の細い事、4センチくらいの薄っぺらい棒切れにしか見えなかった。 私は思わず目をそらしてしまった。 ダイエットのCMで笑うビキニの娘が、グルメ旅行のやけに明るすぎる映像が、目の前にチラツキ、ただただ、空々しく・・その男性の痛々しい位の痩せ方が目に焼きついてなかなか消えなかった。 

9月23日(日曜日)記憶喪失

記憶を突然無くすなんて、フィクションや、やらせ等、あまり現実的な感じがしないんだけど、本当に突然そうなる人がいるらしい。しかし、恋人も伴侶も肉親もわからない。 ましてや私は誰?状態になるというのが、不思議だし怖い。 

人間の脳の研究もだいぶ進んで来て、色んなメカニズムが解明されてきている。 脳の機能たるや、分かってきただけでもすごい! 人間が人間であるのもこの脳のお陰。 喜怒哀楽までも司るっていうから、何だか、ハートマークが急にメカニックに見えてくる。 分からない方が良い事も多い。
しかし、親兄弟、恋人、伴侶に「あなたはどなた? 私は誰?」などと聞かれたら本当にどんなにショックだろうなぁ・・・・

9月18日(火曜日)トルコパーティー

たまたま、トルコのパーティーに招待されて、お坊さんの不思議なダンスを見た。 もともと中近東の音楽は、催眠術みたいだけど、この僧侶のダンスも音楽が鳴っている間、周囲のことは目にもくれず、彼らはゆっくりぐるぐる自転するばかり。 

白いスカートのような僧服を着た若い僧侶が吊り人形みたいに、意思もないかの如く回る姿は、やはり官能的。 中近東のものは、ダンスにしても音楽にしてもセクシーなのは、禁欲的な宗教のせいでしょうか。 禁止すれば興味シンシンになるのは人の常。

9月12日(水曜日)昭和レトロ

ある日、20代の娘が言うことには、「昨日ぅ、銀座のシャンソンバーに連れてってもらったんだけどぉ、なんかぁ、雰囲気からすべてが昭和レトロって感じ。昔、流行ったディックミネって人の唄でぇ、ダイナとか言う唄を22歳の若い人も歌ってぇ。 その子はぁ、お母さんがやってたから受け継がなきゃって??言ってたけどぉ〜衣装までレトロなのぉ」と私に言うではないか。
シャンソンの一般的なイメージってこれなんだろうなぁ。 「シャンソンと言ってもね、本当はもっと色んな唄があるのよ」と言いかけて何だか馬鹿馬鹿しくなり〜笑ってしまった。 シャンソン歌手の世襲なんて聞いた事ないけど・・・??

たまたまそういうい場所でそういう歌手の歌を聴いたんだろうねぇ。 勿の論、私はシャンソンも歌っているし(私のは生命力あふれた唄なんだけどねぇ)、娘から見たら、れっきとしたオバサン。 すんなり、昭和レトロの棚にファイリングされたんだろうなぁ。
よし、こちらも、ファイリングしてやろう。 コーナーは? 勿の論、あそこ・・ほらほら、あそこよぉ 。(代名詞が多くなって困ります。昭和どっぷりの私です。トホホ) 

9月6日(木曜日)主婦業のプロ

柿を買おうと八百屋で品定めしてたら、ベテランと思われる主婦業の方が、「日差しに当たってこういうのが美味しいのよ」と手にとって教えてくれた。 さすがぁ、伊達に主婦やってないなぁと感心。 
いやいや誰でもそうではないだろう。 ぼんやり主婦やってる人と、プロ意識持っている人では、雲泥の差がでるだろうなぁ。 

どんな職業にだって言える事だけどね。
たまに、「私は主婦業のプロです」と胸を張る女性に出会う。 そういう人は、心構えから違うから、確かに手腕もすごいし、頭の回転も速いです。 一家を切り盛りするわけだから、知恵は豊富だし、逞しい。 だから話していても楽しい事が多い。 
そうそう、 ふっきれてる女は強いし、魅力的! 女だけがそう思うのか??

9月3日(月曜日)夏から秋へ

「夏の終わりは淋しいから嫌い」という友人がいた。 彼女は結構ドライな性格なので、その言葉の意外性が忘れられない。 
太陽ギラギラの暑い日盛りでスイカなどほうばっていたのに、ある日、急に秋風が吹き、風鈴が微かにチリンと鳴り、夏も終わりねぇ〜などとつぶやく様になる。 

四季の中でも一番移ろいを感じる時、誰でも多少淋しい気分にはなる。 若い頃は今よりもっと多感だったから、そんな事もあった! 今はやりたい事が山の様にあり、時間とのおっかけっこ状態。 良いのか悪いのか、淋しい〜〜などと感じている余裕が・・・。
自分が年取ってゆくのも分からないくらい。  もっとゆったり暮らしたい。 だけど、スローライフという言葉は嫌い。 どうして、なんでもファッションにしてしまうんだろう。

9月2日(日曜日)夏の終わり

8月31日になってやっと夏休みの宿題に手をつける。そんな子供だったけど、今の子も宿題がいっぱいなんだろうか。 泥縄式にテストをくぐり抜ける癖は、その後もずっと続き、とうとう試験勉強をした記憶はない。 私の親は大して教育熱心ではなかったから、のんびりしたもので、 塾や習い事で遊ぶ暇がない今の子とは、大分違う夏休

みだった。 野原や川で遊んだ思い出は、大人になっても忘れられない。というより、私の情緒の核を形成していると思う。 真っ白いキャンパスに最初に描かれた風景はいつまでたっても、あせないらしい。 何かにつけ思い出すもの。 きっとこの世におさらばする時現れる景色も、富士山の溶岩がゴロゴロしている懐かしい川原か、クローバーの咲き乱れる畑か・・・あの日に戻りたい!

8月31日(金曜日)世界陸上

この所、スポーツ三昧の日々。 と言っても観戦三昧。 節操なくなんでも良くみる。 日本選手は、不調。 期待された人も、力を出し切れないケースが多い。 もともとが120%の力を出さないと予選を通過できない日本選手、大舞台で一発勝負は博打同然だ。 自己記録更新もなく、残念な結果が続いている。 陸上の闘いはシンプルで気持ちがいいし、トラックを疾走する

選手の美しさに見とれてしまう。 サラブレットみたいに鍛え上げた筋肉を見るだけでも価値あり。 でも、フライングや突然の肉離れなどでリタイアせざるを得ない選手はどんなにか無念だろうなぁ。 スタートラインにさえ立てないなんて。 積み上げてきた練習の日々が水の泡・・・・泡・・・どうやって気持ちを収拾するのかなぁ。  

8月30日(木曜日)へっぴり腰

近頃、オカシイと感じる事はいっぱいある。 日本人の精神的な核が、揺らぎ始めている。 歯周病にかかった歯みたいにぐらぐらしている。 藤原ナントカさんの「日本の品格」という本がベスト・セラーになる位だから、心ある?日本人は皆、危惧しているってことだろう。 

若者だけがふらふらしてるわけじゃない。 日本の国技と言われている相撲に携わる人々、全員がへっぴり腰なのは、どうしたわけか。 こんな風だから、全てがズレテ、緩んで、うやむやになってしまう。 毎日、見たくも聞きたくもない、茶番劇を見せられるのはゴメンです。 いい加減にして欲しい。

8月29日(水曜日) どしゃぶり

怪しい空模様だなぁと思っていたら、下車駅僅か数分前から車窓に雨粒が流れ落ち始めた。 ヘッドライトに照らされた雨脚がアスファルト上で 銀のしぶきになっている。 さすがの私も、雨宿りせざるを得ず、30分は駅舎の軒下で真っ黒い空を見上げていた。

 しかし、意を決し舗道に飛び出した。 ほんの数十秒降られただけでも、パンツの裾はぐっしょり、靴はグチャグチャ、髪はべったり、気持ちいいくらいの濡れ鼠。 久しぶりに雨に濡れ、変に楽しかった。 私の悪天候好きは、子供の頃から変わらない。

8月28日(火曜日)ペットブーム

ペットを猫っ可愛がりする人がいる。 動物は人間の言葉を喋らない。飼い主とペットは、察しあって暮らす。 今の世の中に一番不足している信頼関係が、ペットとの間では成立するから、文明社会ほど、ペットブームになる。 淋しい人間が増えているってことか。 私も動物は大好きだけど、今のブームは、ちょっと行き過ぎと思う。 確かに可愛いし、気持ちはわかるけれど、ペット美容院、ペットファッショ

ン、ペット指 圧・・・どこかでブレーキをかけないと陳腐なだけになってしまう。 昔は、 ペットフードはなく、猫飯やワンワンご飯だったし、病気になった動物は、自然のなりゆきにまかせていたものだけれど。 このペットブーム、犬や猫は幸せか?でも、この猫可愛がり症候群が増殖中に、 こんな批判をしたら一喝されそう。 でも飼うなら私は、昔のように飼うワン。  

 

以前の雑記帖

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2007年4月1日〜4月30日

2007年3月21日〜3月31日

2007年3月5日〜3月20日

2006年3月30日

2006年3月28日 インタビュー

 

2006年3月28日 粗忽なのにも わけがある?

2006年3月28日 今頃、年明けのご挨拶

2005年5月4日 ミモザの贈り物

 

2005年4月8日 世の中、おばさん細胞が増殖中 

2005年3月 猫の落し物 で てんやわんや