雑記帖 2005年 4月 8日

世の中、おばさん細胞が増殖中

電車の座席を奪い合うところまで まだ私はおばさんになっていませんが、 疲れている日などはつい空席を目で探している自分がいます。
ところが、近頃はおばさんだけでなく、男性も疲れがたまると やせ我慢は絶対にしないようです。 いわんや女性に席を譲るなんて 愚の骨頂とばかり、われ先に空席めがけてダッシュです。 中年男性ならいざ知らず、20代のフリーターが会釈もせず当然と言わんばかりに、おばさんのまん前の空席に猫のようにするするっと割り込みます。 体力がないのねぇ。 TVゲームのしすぎです。 それともおばさんに遠慮なんてアホラシイのかも。 年齢にかかわらず、性別にかかわらず、 こんな傾向が日増しに深まるばかりです。 男女平等、機会均等が、浸透しつつあります。

男だろうと、女だろうと、また若かろうと、五体満足だろうと疲れるときは疲れます。 
でも、それをぐっとこらえ「いやいや、どうぞお座りください、私は全然大丈夫、レディ・ファーストです(これも死語?)」てなセリフを言って 我慢したり、格好をつけたりしたものですが、 そんな気取りを捨てて男だって疲れた時は「疲れたぁ!」と素直に言おうと決める、 つまり本音で生きるというわけです。 そういう事も必要ですね。 たまには肩の荷をおろしてやるような感じで。 世の中、大変ですものね。 ご苦労様です。

近頃は男だから、女だから、こうでなきゃいけないというような事はないし、自然体で生きられる世の中になってきたなとは思います。 ある意味とてもいい現象だと思います。 男だって料理ができたほうが倍楽しく生きられるし、パートナーだって嬉しい。
こういう素敵な生き方に、文句なんてさらさらありません。
そういう自然体なら大いに結構。 でも、いくら自然体といっても 厚顔無恥はいただけません。 けじめみたいなものかしら。 こうありたいと自分を律する気持ちというのでしょうか。

私は仕事上、重い荷物を持って駅の階段を昇り下りすることがあります。 ある日、こんな事がありました。
重いキャリーをえっちらおっちら 一人で運んでいたら、若い男性が声をかけてきました。 「重くありませんか? お持ちしましょう」 私のそばを大勢の老若男女が通りすぎていくのにです。 私は驚天動地(大げさかしら・・笑)。 本当に信じられませんでした。
日本にもまだ、こういう親切な若い男性がいるんだという事が驚きでもあり、嬉しくもあり。  その若い人の背後から後光がさして見えました!



(影の声あり)
敬老精神からじゃないの? ムッ こういう思考回路の人は 本当におばさんです。

だからというわけではないですが、こういう 男性が もっといっぱい増えて欲しいなあと。
少しやせ我慢でも、照れても、女性には席を譲ってくれるような、荷物を運んでくれるような男性。 
相手がおばさんでも、若くて綺麗な女性でも差別なくです。
特に若い娘より、おばさんの方がいいでしょう。 なぜって若い娘は、譲られるのが当然と思うかもしれないし、
それより何より、近頃は男より体力気力が充実していそうだから。
さて、そこで譲られたか弱きおばさんの方は、少し嬉しくなってもっといい女になろうと目覚めるかもしれない。 
そして相乗効果でいい男やいい女が増える。 日本に大人の良い男や良い女が増える。 そうすれば、趣味嗜好全体が変わる。 今の若者文化優先の社会から本当の成熟した大人の社会になる??? 

ちょっと我慢して自分を律する・・ 一人一人ができるわずかな事で、他人を少し良い気分にさせられたらいいなあと。
昨夕、中央線内で目撃した光景が、ついこんなお喋りになってしまいました。 これもおばさん細胞のなせる技かも。
そのデザイナー風(黒装束の都会派)の紳士は、2メートルも離れた場所から、おばさんを尻目に空席を奪取したのですよ。
こういう技は、一昔前までおばさんの専売特許。 恥じも外聞もなく堂々と、ずうずうしさを発揮できるようになると
立派におばさん稼業が勤まるようになります。 本人は楽かもしれないですけど、美しくも魅力的でもないわねぇ。 

私も時々、はっと「今、おばさんやってるぅ!」と心の中で赤信号がともることがあります。
本人も気づかぬうちに、いつの間にやら、おばさん細胞が増殖していくのです。 
男性も気をつけてください。 男女平等、機会均等です。
怖いです。

2005年4月8日

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