2007年3月5日〜3月20日

3月20日(火曜日)大の甘党
お饅頭、羊羹、最中、なんでも餡ものはダイダイ好きです。 お豆は一様になんでも好きなんですが、特に小豆の加工品には目がありません。お彼岸なので、店頭には桜餅やら柏餅などずらっと並び毎日買わない日はないです。一日に必ず一つは食べないと禁断症状になります。寒い時期は、特に甘いものが欲しくなります。 なぜでしょうか? 私の知人にお汁粉が大好きな人がいます。「喉が痛くなるほど甘いのが食べたくなる」と言います。 私はそこまで到達していませんが、羊羹など一棹ペロリといけます。 食後に食べると、さぁ、今日はもう食べないぞ!と心に誓い丁寧に包装紙にしまいこむのですが、数時間もたたないうちにやはりゴソゴソと持ち出す始末です。 甘味に関しては、やめようと思うなんて、無駄な努力と言う物です。
3月19日(月曜日)行商のおじさん
家の近所に、行商の魚屋さんがいる。 下町や港町ならいざ知らず、珍しいでしょう?20数年前はちょっとかっこいいおじさんでした。どうカッコいいかというと、行者のような風貌、スレンダーな肉体に、ストイックな精神が宿るという印象の男性で、魚屋さんにしておくのはもったいないと思ったものでした。自転車も軽々と乗りこなし、俊敏なのが分ります。今は大分白髪も増え、あんなに素敵な人にも時は容赦ないのね!と思ったりします。 70半ばにはなるかもしれないです。お年寄りらしい雰囲気になってきました。それでもまだ鍛えられた体は、おじいさんには程遠いですが。 朝、晩たまに会うと、「こんにちは」とか「おはようございます」と必ず挨拶を返してくれます。でも一度もお魚を買ったことがなく、(私は魚をさばけないから)残念です。昔はどんな暮らしをし、どんな若者だったのか尋ねたいくらいですけど・・・・まだ実現してません。私と同じく一人暮らしみたいです。
3月18日(日曜日)カラスの行水
寒い日はお風呂に入りたくなります。 家ではよくシャワーを浴びるのですが、今日は近くの銭湯へいきました。 でも、私は心臓があまり丈夫じゃない(毛は生えているらしいのですが、機能的に弱いです!)ので、あまり長く入っていられません。 それで半身浴をよくします。 これなら30分は入っていられます。という訳で、温泉はもっぱら露天風呂が好きです。ぬる湯好きなので、外気に触れながら入るというのが良いのです。  38から39度くらいが気持ちいいなぁ〜という温度です。 美人温泉というのも入りましたが、あまり効果はありませんでした。産湯から使わないと多分だめでしょうねぇ。
3月17日(土曜日)印象と中身は・・
たまに気が向くと、惣菜を作ったりする。 日ごろは、惣菜売り場で出来合いのおかずを買い、簡単な味噌汁を作り、白米を炊いて食べたり、お寿司を買ったりしている。 外食はほとんどしない。 ともかく炊きたてのご飯はなんにもましてご馳走です。! 私はご飯党なんです。 そういうとへぇ〜と物珍しそうに私を見る方もいる。 「シャンソン歌手だからフランスかぶれ、朝はクロワッサンに珈琲」と思われているらしい。 それにこの「顔」がどうやら問題らしい。 私の中身とまるで違うイメージらしいのだ。 私は、本当に外見と実際のギャップがかなり大きい。

それは幾度となく、経験したことだが、相手の様々な反応から想像できる。サロンコンサートで伺うと必ず、珈琲を出してくださるので、「私はダメなんです。理由は分らないが、飲むと心臓がドキドキするのよ」と言うと、人によっては、「へぇ、珈琲にタバコがお似合いって感じなのにねぇ」と関心することしきりなのだ。 タバコはこの世に生まて以来!まったくやらない。 私は色んな方にお会いするけれど、見た印象と中身は違うと思っていた方が、いい。 わりと当たる。

3月16日(金曜日)試食
若い頃、絶対できなかったのに今、平気になったものの一つに試食がある。 食料品売り場でアルバイトの呼び込みさんが、「はぁ〜い、いらっしゃい!お嬢さん、食べてかない? 美味しいよ〜〜」なんて大声で呼び止められようものなら、急ぎ足でその場を去ったん十年前の私。 その姿はいずこへ〜〜。 今じゃ、呼び止められなくたって、「これ、美味しい?」などといいながら、ガラスケースの上の羊羹やお饅頭の切れ端を爪楊枝で堂々と口に運ぶ。 パッケージだけ眺めて多分美味しいだろうなぁと推察しつつ買うのも、あけてびっくりという楽しみがあってそれもいいけれど、試食すれば無駄がはぶける。  この無駄が省けるっていう感覚が「私もおばはんになったもんだ」と我とわが身をほめてやりたいような気分になったり、余白までしっかり使おうという浅ましさと感じて、年取りたくないもんだ!と戒めたりする。 しかし、若いというのはしんどいものですね。おばさんになってみると本当に楽です。 この楽チンになれすぎるのはいけなません。 ただのずうずうしいオバサンになってしまいます。
3月15日(木曜日)遅刻はご法度
「ワタクシ、XX大学のXXと申しますが、このままですと5分程遅れてしまいそうです。 御社への入社意欲が高いので、なんとかXXX頂きたいのですが。」突然、私のすぐそばで、声がする。何かと思えばドアの窓ガラスに張り付いて、黒いオーバーの若い男が携帯電話で会話をしていた。あんまり慌てているふうでもないから、寝坊したらしい。入社面接なのに・・・私には考えられない。 時間にルーズな人っていうのは、あんまり信用しないことにしている。 この人の様に、リスクは自分にだけ却ってくるようなら自己責任で遅刻でもなんでもどうぞ!と思う。 私のようにチームを組んで仕事している場合は、事情が違う。  たった一人の人のためにチーム全員に迷惑がかかる。 幸い、私のチームにはそういう人間はいない。 時間にルーズな人とは仕事をしないことにしている。 様々なストレスがかかり、結局、別々の道をいくことが多い。 特に、相手を信用できないのは、つらい。 仕事さえ良ければとは、私はどうしても思えない。
3月14日(水曜日)ホワイト・デー
子供の頃は、なんとチョコレートやアイスクリームなどが嫌いだった。 スルメやピーナッツが好物で・・なにやらのん兵衛みたいですね。最近になって、チョコレートもまんざら悪くないわいと思うようになった。 何も、バレンタインデーの影響ではないけれど。 私は、こういうイベント的なものに興味がわかない、なぜか良く自分でもわからない。 職業柄、バレンタインコンサートみたいなものもやるので、由来を調べてみたら、やはりキリスト教から派生したもの。 欧米の習慣というのは、ほとんど宗教がらみですね。 日本人はそんなことにはお構いないから、気楽なものです。 楽しむことにかけては、なんでもありの国民かもしれない。1958年には、バレンタイン・チョコレートの売り上げは新宿伊勢丹で板チョコたった3枚だったという記事があった。あぁ、それなのに、この国民的熱狂ぶりはいかがでしょう〜〜〜。バレンタイン・デーは男性にとっては、恐怖の日になってしまいそう。 チョコもらえなかった男性、ホワイト・デーはどうなさいますか?
3月13日(火曜日)フランスからもCDの注文がくる
ホームページは色んな国の人が見てくれている。 当然だよ!と言われそうだが、あまりインターネットに詳しくないので良く分らない。 CDの注文がフランスから来たりする。レオ・フェレを唄っているのでそういうつながりを手繰って、私のアドレスにも行き着くらしい。
日本では無名に等しいレオ・フェレだが、フランスでは誰一人知らない人はいないアーティストだ。 亡くなってから益々評価が高まって(一般的じゃないものをやっていると、フランス人でもそうなんだ!としゃくに触るが)若手の歌手が続々とフェレを歌い継いでいるようだ。
そんな中でも、私のフェレは一味違うらしい。ケイコの唄はなぜこんなにパッショネ(Passionnee)情熱的なのか!と驚かれる。 そりゃ、「血のなせるわざ 」!と言ってしまえばそれまでだけど、この唄にかける情熱はフランス人の若手にけして負けないと自負している。
そう、私は、フェレが巨匠だから唄い始めたわけでもなく、フェレを惜しみオマージュを捧げているわけでもない。たまたま、古レコードで聴いたグレコの「神は黒人」が私の気を惹いた、それがフェレ作品だったという偶然の出会い。 もう24年も前の事だ。完全に自分の血となり肉となるまで唄いこみ、自分の言葉で唄っているから・・・と言いたい。魂と時間をぶちこんで唄ってきた唄だから、フェレの陰はもう私の歌には残っていない。 別物に聴こえたっておかしくない。なんでもそうだと思うけど、邪心など微塵もない情熱は嘘をつかないし、自然に人の心を動かすんだなぁ・・・と思う。
3月12日(月曜日)人災の春場所?
スポーツを見るのは大好きだ。.ボクシングや柔道、相撲、剣道からサッカー、ラグビー、ホッケー、陸上競技、水泳など、ともかく見ないのはプロレスくらい。ショーになってしまったものには興味がない。 やはり真剣勝負だから応援するのにも熱が入る。大相撲の春場所が10日から始まった。 国技なのに、日本人の関取は不甲斐なく残念だ。土俵にあがる前から気合負けしている。モンゴル出身の関取は精神的にも逞しい。 一昔前の日本人みたいだ。幕内力士くらいになると、いざ勝負となったら、実力は均衡しているし、精神力が勝敗を分けるんだろうなぁと思う。 
今場所は、八百長だのなんのと言われて、朝青龍は場所前から顔つきが違った。眉がつり上がっていた。負けん気があまりに前面に出すぎてテンション上がってるなぁっと思っていたら・・・案の定、初日から2連敗。
心・技・体と良く言われるけれど、本当だ。力が入りすぎて空まわりしている。 あれほど強い横綱でも騒ぎに振り回され、自分の相撲が取れない。自滅してしまっている。 やはり人間はもろいものだと思う。今まで様々な事で叩かれ、堪忍袋の緒が切れてしまったのかもしれない。土俵で疑惑を晴らしてやろうという思いだけが先行してしまっている。横綱って本当に孤独なんだなと思う。
どんなことがあっても動じない心を持て、とは言うけれどたかだか24,5歳の青年だ。それに強すぎて周囲からのやっかみもあるに違いない。試練だろうけれど、朝青龍にはこれを乗り越えてもっともっと大横綱になってほしい。
3月11日(日曜日)梅派?桜派?
いよいよ、桜が開花しそうですね。 今年は早すぎます。住まいの近くには桜並木があるので、わざわざ名所に花見にいかなくても毎年桜は堪能している。花見とはいうものの、桜の下でわいわいどんちゃん騒ぎをしているだけで、桜などほとんど見てないに等しい〜〜と思う。花より団子状態と言っても過言じゃない。だからという訳ではないけれど、一人ぶらっと並木の下を歩き、散るはなびらなど眺めながら昼下がりを過ごす方が余程、情緒のある花見なのです。
 梅はなんといっても、艶な香りがいい。花が乙女なら、残り香に惹きつけられふらふらっと後をついていきたくなる。冷気の中に漂ってくる春の兆しに心が浮き立つ。梅は名所をたずねないと、なかなか桜の様にはまとまって眺められない。 枝ぶりは節くれだち空に向かって立ち上がっている。私は、この枝ぶりの直線ラインにあまり色気を感じない。
嫌いな人がいれば、好きな人もいる。 それこそが、風雪に耐える姿と重なり、古風でいいと。
私はやはり桜が好きだ。花は香りがなければ!と私は常々思っているので、桜はそれだけが欠点だけど、補って余りあるほど、姿が美しい。枝ぶりといい、はなびら色といい、花房の形といい、散り際といい、本当に退廃的で魅力的だ。メジロなどが蜜を吸いに花弁に顔をつっこんでいるが、羨ましいなぁなんて思う。私はラン(人工的な感じと香りがないという点で好きじゃない)を除いて、ユリ、牡丹、芍薬、薔薇などの大ぶりの花が本来好きなのだけれど、桜は別だ。
東京は3月18日が開花日だと言うけれど、咲くと決まって雨や強風に見舞われる。春の嵐というくらいだから仕方がない。なるべく長持ちして欲しいとヤキモキするのも常だ。
3月10日(土曜日)手紙は自筆で
ワープロで文章を打ち始めると、手書きに戻るのは面倒になる。 手書きはアナログで時代遅れだからではなく、ワープロのキーをたたくあのリズムと言葉がでてくるテンポがうまく合致すると、残念ながら手書きはもどかしくなってしまう。私は結構せっかちなんです。消しゴムで消したり、途中に文を入れ込んだりするので、手書きだといつの間にか紙が真っ黒になってしまう。ワープロでの訂正はあっという間だから楽だ。これに慣れるとなかなかペンを握る気持ちになれない。 だからかもしれないが、たまにペンで字を書くと、なんだか芯の通らないフニャっとした文字になってしまい、困る。いわゆるミミズのなたくったようなという文字です。やはり、手のひらの筋肉や指のスジなどが衰えたり、文字を書く勘がにぶるのかなぁと思う。 作家はペンにこだわって書く方もいらっしゃるようなので、多分、何かリズムとか呼吸とか本人にしか分らない作法、心地よい感覚があるのだと思う。 私も本当は、昔ながらにペンで書くほうが、何かその人の匂いみたいなのがじわ〜っとでるような(実際は関係なくても)気がしていいなぁと思う。 私も手紙だけはなるべく手書きにしたいと思っている。 コンサートのお知らせは大変でも宛名から、手紙まで自筆で書く。 自分がダイレクトメールを頂いた時など、少しでも自筆の文字があると、コミュニケーションしたような嬉しい気分になるので、きっと相手もそうだろうと。上手い、下手はどうでもいいから、ともかく自筆で出す、を心がけている。 たまには、心静かに筆など握ってスラスラ・・・・あぁ〜やっぱり文字に落ち着きがぁ・・・これも訓練なんですね。
3月9日(金曜日)夢のまた夢・・着物生活
10数年前からか、この時期になると、袴姿の女子学生を見かける。今日も昼さがりの新宿駅構内を5,6人連れ立って歩いていた。ぱっと花が咲いたような華やぎがある。以前に比べると、袴姿に磨きがかかってきたように思う。 夏には浴衣で花火大会を楽しむカップルも多くみかける。こちらも最初は、寝巻きみたいなイメージを与えてしまう人もいたけれど、近頃は、人目をひきつけるような個性的な着こなしをする人もチラホラ見かける。コギャル(ごめんなさい)も、着る物で大和撫子になるんだ〜と驚くほど。形から入るというのも悪くない。私も、和服はいいなぁと思う。 できれば和服を洋服のようにさりげなく着こなし、過ごしたいとも思う。 日本女性は、やはり体型からしても和服が似合うと思う。
私の母は、かなり長い間、着物で過ごしていたように思う。 割烹着姿も覚えている。けれど、今はもう無理でしょうねぇ。時代のスピードに合わないものはどんどん淘汰されてしまう。 私だって、一度、パンツで闊歩したなら、自由で楽で行動的でやめられない。帯をほどいた時の開放感はたまらないもの。(本当に上手い着方をすれば楽らしいけれど) 
和服の文化は、絶対残って欲しいと思う。なくなったら惜しいとも思うけれど、今の生活に取り込むのはむずかしい。 これほど、生活スタイルが激変するなんて思いもよらなかっただろうから、仕方のないこと。でも、楽で過ごしやすいのはもちろん大賛成だし、大切な条件だけれど、どこかはきちがえて、精神までデレッとしまりがなくなってきているような気がする。多少は 着物の手入れや収納など季節ごとに気を配ることで 本来の気働きのような日本人の良さも取り戻せるのかしらなんて思ったりするが・・・実際、あれこれ思い巡らすと、私の着物生活は夢のまた夢。障子からもれる柔らかな日差しを眺めながら紬でお抹茶などすすり・・・なんて想像して楽しむのが関の山。

3月8日(木曜日) 今日は誕生日

私の誕生日です。 もう、年齢を考えたくないなぁ。それに本当に忘れていることもある。いったいいくつだったけ?なんて思うこともある。
若い頃は、24,5歳の先輩を見て、なんて大人なんだろうと思いました。実際、同じ年齢になってみると、な〜ぁんだ、全然大人なんかじゃないんだと分る。 なんでも知っていると思って色んな相談したけど、困っただろうなぁなんて、相手の立場を思いやることができる。
その年齢になってみないと分らない事ばかり。 親に対しても、思春期の頃は厳しい目を注ぐ。 僅かなミスや「らしくない」言動に屁理屈をつけたくなる。親も大変だ!なんたって子供は、親に完璧であれと望むのだ。親だって失敗もする、分らないことばかり、時として堕落したくもなる、人間だからね。こうして20歳の子供がいても不思議じゃない年齢になってみてわかる。子供が親を育てるとよくいうけど、本当だろうな。 時間が解決してくれることってせつないね。

82歳の知性あふれる素敵な女性が、いみじくも言った。「私も父親が亡くなった年齢になった、随分老人だと思ったけど、こうして同い年になってみると思ったほどの年齢じゃないんだねぇ」と。
人が思っているのと実際に経験してみるのは雲泥の差がある、私も「おさらば」するまで学ぶことだらけです。 

3月7日(水曜日) 大地にこうべを垂れる
今年は秋から一挙に春になった。冬ざれの景色というのがあまり見られなかったように思う。
温暖化・温暖化と騒がれてからもう随分たつ。私も騒がれ始めた十数年前は、すゎっ!大変!!と深刻に思ったものだけれど・・・いよいよ本当にジワジワ変化してきてるなぁと半分、人ごとみたいに腰を落ちつけている。諦めが先にたってしまう。
それにしても、大昔の人は天体のメカニズムなど知らないから、幸せだったといえばいえる。 冬から春への変化は、多分、女神が降臨するような至福のひととき、こうべを垂れるような厳粛な気持ちで見守っていたんだろうなぁ。 どんよりと雪に閉ざされた暗い冬の空から、風がキラキラひるがえるような花咲く春を謳歌したことだろう。
電車の窓からながめる東京郊外の景色、光が舞い降りて町並みも木々も白く輝き、まるで風薫る新緑の季節が到来したかと勘違いしそうだ。
まだ3月初旬なのに。そういえば、今年はまだ雪も降らない。
子供の頃は、温暖な静岡に住んでいたけれど、冬はやはり寒かった。 はっぱを全部落とした冬木立が美しいと思った。それに寒い朝は、足の指が靴の中で切れるかと思う程、痛かった。下校途中の小川には、枯れた草の葉が水しぶきを浴び、つらら状になっていて、つめた〜い!などと騒ぎながら、我が家まで持ち帰ったものだ。 今でも、冬は好きな季節だ。その冬が人間の欲望によって侵食され、もう大地にも人間にも歯向かって来ない。押し殺されたエネルギーがはけ口を求めて、いつか爆発するだろう。その時天罰が下される。
3月6日(火曜日) 結婚したい娘が私に聞いた
「世の中、何も知らないうちに結婚した方が幸せだよねぇ、紀子さんは世間を知らずに嫁いだからいいけど、雅子さんは世の中知ってからだから可愛そうぉおお」と25,6歳の女の子。私に答えを聞きたいのか「どうせ、男は浮気するんだろうなぁ」なんてこちらをチラッとみるではないか。こう見えても、私は恋愛に関しては稀にみる生一本な性分。 私は返答にぐっと詰まり結局何も言わずじまい。
そういう見方もあるだろうなぁ。 比べるものがなけりゃ、自分の置かれた環境に何の疑問も抱かないだろうから。
だけど、結婚してから何の情報も入らない深窓の奥方ならいいけどね〜そういうわけにもいかないだろうからなぁ、この情報化社会じゃと、一方で私は思う。それに恋人同士の男と女から、夫と妻になれば、全然違う展開になるんじゃないかなぁ。 家族も増えるだろうしねぇ。世間との比較じゃなくて、結婚前後でのお互いの変化に唖然!なんて事もあって、思いがけない方向へ転がっていくかもよ。心配しても始まらない。
 

そもそも、 結婚にまったく興味がなかった私が考えるテーマじゃないかも。 投げられたボールは返さなきゃと、つらつら思う。結局は自分次第じゃないの。結婚したいと思う男を前にして、浮気されたらどうしようなんて迷うなら、やめた方がいいよ。自分は傷つきたくないと思ったら、人との接触を避けるしかない。どうしたって、違う人格が一緒に暮らせば、色々あるだろうし。
それにしても、最近の若い娘は、もっと自由奔放なのかと思ったら、恋人に浮気されたら悲しい〜〜〜なんて思う娘もいるんだと、そっちの方に私は驚きました。 やはり恋する乙女心は、昔も今も変わらないってことか。 若い男たちよ! もっとしっかりしてほしい。 近頃、大半の若い男はヘナヘナっとしていて、この人に人生託して大丈夫かなぁと不安になる。 自分に娘がいたら、考えこんじゃうだろうな。 でもこれだけは言える。 男であろうと、女であろうと、時代がどう変わろうと、浮気する人はするし、しない人はしない。
でも実のところ、わたしは 「浮気」って本当は良くわからない。 

3月5日(月曜日) 普段の私は そんなにひどい

私はお洒落ではない。 こういう言い方は、お洒落な人だけが言う資格があるように思う。 私の場合は どう表現したらぴったりか。ものぐさと言おうか、自分でも「私はモグラである」「熊さんになったのである」と宣言しなくては やってられない様な気分が頭からつま先まで満タンになってしまう。 モグラにも熊さんにも失礼だが、格好なんかどうでもよくなるのだ。 近所のスーパーなんかに買い物〜なら、ホームレスのおじさんと間違われたとしても、けしてけして、フリーターのお兄さん、お姉さんに ふくれっつらはできない。

そんな私でも、仕事の打ち合わせとあらば、少しは気をつかう。 歌手らしい格好で行かなくては、紹介してくれる方にも申し訳がたたない。 一応は、思いつく限りのそれらしいコーディネートをしていく。 それなのに! いつもこう言われてしまうのだ!「こちらは、若林圭子さん、こんな感じだけど(あぁ〜〜〜〜またかぁ)ステージはもう別人なんだから、本当よぉ!すっごく(力を込めた声)素敵なのよぉ〜〜〜」

舞台はライトで皺は飛ぶし、艶やかなお肌になって5,6歳は若く見えるはずだけどぉ そんなに違う????
言わせてもらえるなら、 私はいつも自然体だからかなぁと思う。 舞台に立つときは、その唄に思いっきり魂をぶち込んでしまうので、どういう状況の唄でも 表情や雰囲気が かなり変化するらしい。 つまり未体験のドラマでも 想像力を駆使し、私は感情移入が結構出来るのだ。 で、普段はもちろん、普通のトウのたった女なので、緊張感もなく、歌手ともおもわず、ありのままにいるから 舞台以外で、一生懸命気を使って 歌手らしくと思っても 気持ちが日常の気分だから 肝心の顔つきが変わらないんだぁ、やはり無駄な努力なのかなぁ・・・と。

 


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