若林圭子のプロフィール

「私の言葉で」唄うハートフルなヴォーカリスト。 銀座博品館企画によるリサイタルは満席。レオ・フェレ(戦後シャンソンの鬼才、詩人、作曲家、歌手、93年没)の曲を独自の歌詞で唄い、その数は100曲に達する。他に作詞・作曲も手がける。また民族音楽、ブルース、日本の子守唄などレパートリーは幅広い。 83年よりコンサート活動を開始。渋谷ジャンジャンでは10年公演。98年、2001年にはパリのフェスティヴァルに招聘され、ピエール・バルー、ムスタキ、スペインの吟遊詩人パコ・イヴァネスと共演。 2000年にはレオ・フェレ未亡人に招聘され、イタリア公演を実現。CD「レオ・フェレを唄うVol.1 ,2」「死神フランコ」「博品館ライブ」「Le Poison Tendre」など6枚リリース。

 

 変身するシャンソン

世の中が変わるように、唄も変化していく。
新しく生まれ変わる。 日本の枠から飛び出し、日本のシャンソンのイメージを打ち破る。 私のシャンソンは変身する。

 心は変幻自在

私の心の底に沈んでいる、ありとあらゆるものを、すくいあげて唄う。
ロックのように熱いハート、フラメンコのように烈しい情念、若くしなやかなまなざし。 心は変幻自在だから。

 私の唄は私の血と肉

唄とはその人そのものだと思う。 音楽とは言え、唄だけはちょっと違うのではないか。 私の唄は私の生き方だ、と胸を張って言える歌手でありたい。 いつもそう思って唄ってきた。 私の唄は、私の血と肉でできている。

 海外の友人にも潔さは伝わる

シエナに住んでいる レオ・フェレ未亡人や フランス・ イタリアの友人は私の唄を聴くと「なぜこれほど情熱的に唄えるんだ!」 と驚きます。 それは血のなせる技? いいえ、魂の総てと今までの長い時をぶち込んで唄ってきたから。 
それが答えです。
やはりハートは伝わるのですね。
どうか、先入観をもたないで 聴いてください。
誰もが なぜ? どうしてそうなの? と叫びたくなるような思いを唄いたい。
勇気、怒り、愛など、言葉にはならないかもしれない深い感情を唄いたい。 
懸命に生きたなら、どんな結果だろうと喜んで受け入れる、そんな潔さが伝わればと思います。 
一人の人間として 共感できる思いを唄いたい。

 行列に並ばない

シャンソンとは、フランス語で単に「唄」という意味であり、フランスでは、日記の様に何でも唄にしていたのです。
もとはと言えば、民謡に近いものです。 商業ベースにのせるための唄ではなかったのです。  
フランス映画のテーマ音楽として知られた歌、またピアフ、アズナブール、ベコー、アダモの唄だけがシャンソン?

大いなる誤解です。
フランスでは戦後の三大アーティストとして、ジョルジュ・ブラッサンス、ジャック・ブレル、レオ・フェレの名前があがります。
彼らは独自の思想を持ち、世の中に迎合せず、自分の生き方を貫きました。 けして行列に並びませんでした。
それがシャンソンの真髄です。

 レオ・フェレって?

日本では無名、フランスでは誰もが知る鬼才。1993年77歳で亡くなった。 ロック、クラシック、ジャズなど、様々なジャンルを包み込んだ、新しいフェレの音楽を作った。いわゆるシャンソンのイメージからはみ出した、骨太の作品が多い。
私はフェレの音楽から受ける人間臭さ、スケールの大きさ、普遍性に惹かれ1983年から唄っている。
日本語詩は「自分の言葉」にこだわった。 私の心の中にある何かを取り出してみたかった。
余談だが、原詩は暗号文のように 意味不明なものが多く大意をつかむのに大変苦労した。 だからというわけではないが、私の日本語詩は、ほとんど創作に近い。

 若い人に

コンサートで私の唄を聴いた若者たちは 共通して言う。 「カッコいい!」「とて も新鮮!」。
私は好きなことをみつけ、自分らしく生きてきただけ。 そのために乗り越えなきゃいけない壁も多々、あったけれど、好きなことをやりたい一心で、諦めなかった。 鉄は熱いうちに打てといいます。 
若い人も 熱くたぎっている気持ちを大切に、体当たりでやりたいことを貫いて ガンバレ! 

 どこかで 私を見かけたら 声をかけてください!